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絶賛!「金足農」対「近江」 [教育]

 金足農と近江の試合に涙した。どちらも好きなチームだった。どちらも勝たせたかった。それでも、この両チームは、勝っても負けてもただのチームではなかった。
 ピンチを迎えても笑顔を絶やさず、全力を傾注できる能力を備えた驚くべきチーム同士だった。金足農の吉田投手には、高校生離れしたピッチング能力とそれに優るとも劣らない精神力を感じた。対する近江の林投手には、2年生にしてその技術の高さに驚かされた。だが、何といっても、投手の頑張りを無にしてはならんと集中していく両チームの姿には「美しさ」を感じた。
 どうやったら、こんな高校生が育つのだろうか。失敗しては尾を引き、顔を引き攣らせていた昔日がもの凄く古いものに感じられた。同様に、今のスポーツ界に失われているもっとも大切な「スポーツマン精神」が満載されていた。
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マルクスとエンゲルス [日記]

 観たのは放映期限の前日だった。一番奥にある一番小さな部屋で、一日一回限り上映されていた。映画も息の根が止まるように終息していくのだろう。
 平日の昼下がり、観客は中高年十数名。巷の酷暑を逃れてきたと思しき男が、居眠りから飛び跳ねるた以外は、皆あの時代に頭の隅に置いたマルクスとエンゲルスの若き日に静かに集中した。
 いつの時代も、既得権益を持つ者はそれを手放さない。そして、既得権益を持たない者はそれを持てない者であることを知る。
 アメフトやボクシング、ここにも既得権益者が引き際を忘れ、自らの保身のために人の道から外れた世界に足を踏み入れていった。周りがどんなに非難しようが、声が届いているようには思えない。聞こえているのに聞こうとしない「老害」が邪魔をしてどうにもならない怪物だったのだ。
 振り出しから自力で歩まない者は努力と苦労を知らない。こういう者たちが、政治家や芸能界に多くなってきている。「世襲」という窓から社会を眺めていると、なんと多いことか。世襲が悪い訳ではない。世襲して上に立つ者は、有り余るほど周りに気を遣うべきだ。それでも、あなたたちには節操が足りないのだから。
 ごまかすのは可愛げがある。嘘はいけない。今年の春、この嘘によって日本人の何かが崩れてしまった。やったのにやらないと言い、平気で文書を改ざんする。それも誰もが崇めるように見ていた人たちが。既得権益者にごまをすることを「忖度」と言うのだ。
 既得権益者が、こんなに守られ続けてよいはずがない。彼らは、自らを守るために法やきまりを作り、その甘い汁を数珠つなぎで受け継いていく。今の日本、政治に限らず、あの世界にも、あの会社にも、そうしたものが蔓延っている。
 マルクスとエンゲルス、170年経った今も、肝心なところは何も変わってはいない。

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本気で取り組んで! [教育]

 不易と変化。その中で、時代の変化により在り方が問われるべきものがある。
① スマホ
  いつまでも学校を「禁止と制約の聖域」に置いてよいのだろうか。それは、使い方を指導する責
 任を負わないと宣言しているように見える。
② 洋式トイレ
  肌が触れ合うことを嫌う子ども、そして親の声を耳にする。公衆トイレは和式も大切にしなければ
 ならないと思う。
③ 日焼け止め
  プールでの使用を検討しているだろうか。肌を守るには必要なはず。水質は保たれるのだろうか。
 おしっこ漏らしも疑われる。アンタッチャブルではそろそろ通用しなくなる。
④ 置き勉
  教科書がA4になり、新学習指導要領の実施で頁数が増える。それにノートや資料集に問題集、そ
 して水筒。金曜日には給食着や体育着、ズックをもって帰宅する。20㎏を背負わされていることを
 先生方は意外と無関心。文科省は知らんぷり。これで体にいい訳がない。家で使わないものは学校に
 置くという「置き勉」はもちろん、その整備も必要ではないだろうか。
⑤ エアコン
  首相が語り、知事が語る。美味い話は上から降るが、設置者たる市町村は困っていないか。国や県
 が全額払ってくれるわけじゃない。偉い人はそこをどうするか語ってよ。本当に暑いのは子どもた
 ちです。

 もっとあるでしょうが、なんとかせにゃならんのではないでしょうか。

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内心を失わず [教育]

 今月12日ではなく、山形では1日遅れの13日の発売となった。『前川喜平「官」を語る』を縁側を開け放っても暑い和室に寝そべり、3時間ほどで読みつくした。
 最初の出会いは、「さんさん」策定中の秋、赤坂見附の都道府県会館だった。今や決定的な方向付けがなされようとしているとき、二人の人間を連れてわたしたちはそこにいた。この二人に大事な説明をしてくれるのが前川氏である。
 まだ、やわらかい日差しが残る玄関で彼の到着を待っていた。しかし、時刻が迫ってきても彼は来ない。一向に黒塗りの公用車が現れないのである。
 やがて、わたしは階段を駆け上がり、小さな会議室に入った。どうしたことだろうか。前川氏はすでに話を始めていた。
 「失礼しました・・・・」と詫びたわたしに、彼は地下鉄で来たことを告げた。どこか尊大になるだけの地方のお偉方とは違うフットワークの良さを感じた。年齢はわたしの方が2つほど上なはずである。彼の声には自信と確信が満ち溢れ、夢を実現していく力に充ち溢れていた。
 著書には、そのいくつかの功績が記されている。しかし、彼の凄さは心の持ち方のように思う。いい加減年齢を重ねると、「いまさら」とか「面倒だから」などの理由で、長いものに巻かれてしまうようになりがちだ。前川氏は、どうして「内心」を失わずにいられたのだろうか。
 どんな立場になろうとも、常に自分をリセットして個人に戻るために、そこに大変なエネルギーを費やさなければならないことを忘れてはならない。それを棄てたら流されるだけ、そして、まやかしの権勢をはってみせるようになってはいかんのだ。 
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眼をそらし、「していない」と言う [日記]

 西日本の豪雨による被害に驚いている。この最中、議員たちが懇親会を開いていたという話には閉口してしまう。これが間違いだったとは言わせまい。彼らは、七夕の7日にカジノを含むIR法案の参議院本会議の審議に入ったのだから、西日本にはまったく目が向いていなかったのだ。
 この法案の担当するのは国土交通省。大雨による被害対策は?国土交通省じゃありませんか?国会がカジノの話に踊っている間に、多くの人命が失われている。これは正されるべきではないだろうか?
 一方、文部科学省では新たな事件がわかった。前局長による便宜によって、ある事業に東京医科大に選ばれ、見返りとして前局長の息子がその医大に合格させてもらったらしい。気になったのが、医大側がその不正を認めたのに、前局長はそれらを否定したと言うのだ。
 やったことを否定する腹の内には、「忖度」で始末をつけようとする結末が読める。なんだか、「もりかけ」の根幹にある意識の構造が、少しずつ日本をダメな国にしているように思う。
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「キョウイン」の幸せ [教育]

 高齢期を元気に過ごすための「キョウヨウ」と「キョウイク」について、2013年7月14日付の「天声人語」が書いている。「教養」と「教育」ではなく、「今日、用がある」と「今日、行くところがある」の二つである。
 何も用事がなく、どこにも行かない毎日では張り合いがない。老後をどう過ごそうかと誰しも考える。この話には実感と納得があるのだろう、この教えはかなり流布しているようだ。
 出典は、心理学者の多湖輝(たごあきら)さんの著書『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』である。ところが、多湖さんも100歳に近い大先輩に教わったのだそうだ。
 昨晩、退職校長会事務局の歓送迎会があった。老練なる強者たちの話は面白い。ある退任者が「これで残すは葬式だけだ!」と言い放てば、現職は「ラブレターをもらった」と豪語する。あまりに自慢するものだから、読ませてもらったら、なんだ?ただの礼状ではないか。ボケは笑いを誘う。
 司会のわたしは、先の二つに「キョウイン」を付け加えた。「教員」ではない。「今日飲」である。
なんだか、みんな酒のピッチが上がったようだった。
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虚言と空言 [教育]

 子どもたちにはもっと夢を語らせたいものです。
 夢は感動の中でこそ大きくはばたくものです。だから、自然体験や読書などは大切なのです。
 例えばスマホの世界、答えを探しては見つけておしまいです。lineでつながる便利さに夢中になってしまうのですが、どうやら、つながるためにつながりを求めているように思われます。この頃は、子どもたちもこんな世界にハマっているのでしょうね。
 夢は、空言(そらごと)で、子どもたちの特権です。それこそが「子どもの世界」です。大人は、それを「デタラメ」と言ってはいけません。聴いてやって反応してやると夢は膨らみます。真っ白なキャンパスに自由に描かせるような時間と空間が求められているように思います。
 ところで、「もりかけ」の世界は虚言(きょげん)です。偽りであり、嘘であり、誤魔化しです。いっちょまえの大人が、虚言を空言のように平気で言っている様は、どこか、未熟なお坊ちゃま育ちのファッシズムが漂っています。
 子どもをこんな大人にしてはいけません。だから、今は大きな夢を描かせましょう。「ふつうの大人」に育ってもらいたいから。
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権力に立ち向かう「me too」 [教育]

 ハリウッドの大物プロデューサーワインスティーンが起こした数多のセクハラ事件が、全世界に「me too」運動を巻き起こした。
 イギリスで制作されたドキュメンタリーを観て、「権力」という文字が浮かんできた。権力は、何をやってもOKという意味で横暴であり、被害者を黙らせるという意味で威圧的なものである。
 翻って学校に転化してみる。ここに権力が蔓延ってはいないだろうか。とりわけ校長が行使できるのは「権力」ではなく、責任に裏打ちされた「権限」であり、「責務」と認識すべきものである。
 ソファーに仰け反り、指先で職員を呼びつけ、相手を直立不動のまま命じたりするようなことをしてはいないだろうか。どうやら、今の学校にはそうした方はいなくなったと思っている。ところが、社会には今なお、そうした香りを全身から放ちながら、「権力」を笠にして尊大なる自己内にドーパミンを満たしている輩がいる。彼らは、その興奮が醒めると襲われる不安を払拭するために、またしても権力行使に手を染める。被害者は黙るから彼らに反省はない。
 日大のアメフト騒動も似たようなもの。レスリングでは、権力が金メダリストに圧力をかけていた。こんな社会を変えるには、もっと声をあげるべきなのではないか。「me too」はセクハラに限ったことではないのである。
 「もりかけ」にしても、この「権力」にかかわる部分が解明されていない。あの優秀とされてきた官僚が「嘘」をつかなければならない構造は理解し難い。
 「権力」に立ち向かったら「権力」に押しつぶされる。その暗黙知を振り払う手段として「me too」を我々は行使していく時代が来たのだ。
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この場合の「日本人の育成」は? [教育]

 県連小の研究協議会に行ってきました。変だなと思ったことです。
 全連小では、平成25年度から「新たな知を拓き 人間性豊かな社会を築く 日本人の育成を目指す小学校教育の推進」を大会主題にしているようです。隣に座っておられるCさんがある箇所を指さして首を傾げています。
 やはり同じのようです!でも、どうしてこれまで気づかなかったのでしょうか。「日本人の育成」の「日本人」とは何を意味しているのか分からないのです。
 よく使われる言葉に「英語が使える日本人の育成」があります。この場合の意味はわかります。
 しかし、全連小は何を意図しているのかわかりません。グローバル化した時代に日本人に限定するのはなぜでしょう。「国籍」でしょうか。それとも「民族」ですか。生物学上の「純血」ともとられかねません。それともアイディンティティとしての「日本人」でしょうか。だとしたら、是も非も含めて、それを定義したうえでどうしたいかを述べるべきでしょう。
 確かに教育は「人間」を育てるものです。それでも、大そうなことは言わずに小学校ならば「子ども」の育成でよいのではないでしょうか。
 説明のないまま、「日本人の育成」と言われては、これまで誤解もあったでしょう。昭和初期での意味合い、戦後における意味合い、そして、多様化した平成では、もはや、色々なシグナルが見える言葉となり、単独で使うには、危険とは言わないまでも好ましくはないと思うのです。
 
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「時短」された運動会 [教育]

 一週間前、川崎市の孫の運動会で、弁当開きの場所取りをしていたことを書いた。いつもと変わらない運動会だった。
 そして先週の土曜日、今度は仙台市の孫の運動会。いつもは校庭いっぱいに広げられているはずのビニルシートがいつもの半分以下に減っていた。プログラムを見てびっくり。閉会式が12時15分と記されていたのだ。
 この疑問をマイゼンのKさんにぶつけてみたら、「出てたよ」とタブレットでその記事を見せてくれた。詳しくはわからないのだが、全国的にそうした動きが起きているようだ。
 場所取りはもとより、共働き世帯の増加、しかも土曜日に仕事という方もいるわけで、弁当作りの負担もなくなったわけだ。実際、弁当を持ってこられなかったり、作ってもらえなかったりの子どももいたわけで、そうした子どもへの配慮ともとれる。まぁ、理由の一つは、保護者の声だろうか。
 もう一つの理由としては、教育の働き方改革というのが考えられる。種目を減らせば準備する物品も練習に掛ける時間も減らすことができる。時流に乗った試みではあろう。
 そして、最後の理由が授業時数の増加。種目をそのままにして練習時間を減らすのは難しい。まして、学年一堂に会したり、学年をまたいだ練習時間を確保するのは容易いことではない。
 どうやら、運動会の時短は避けられないことのようだ。だが、二つの運動会を比べて思うことがある。やっと確保した場所でじじばば含めて昼ご飯を食べる運動会には、綱引きや騎馬戦、選抜リレーと伝統的種目が歓声を呼んでいた。一方、思い切った仙台市の小学校ではあったが、中味は失礼ながら「とりあえずの運動会」にスケールダウンしていた。行事が子どもの外にある理由だけで、変えててはならないものだと感じた。この行事で子どもたちに「何を育てようとしているのか」見えなかった。
 時短にするか、しないか、そうではあるまい。行事は子どもにとってどうあるべきか、総合的に各学校が議論すべきではないか。
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