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軽買って、殿様気分に [日記]

 ついに欲望の増殖が抑えられ、「もっともっと」とばかり不確実な未来へ備えることもなくなった。そして、たかが車の話ではあるが、新年を迎えて「軽自動車」に乗り換えることにした。
 新車引き渡しの日、セレモニーがあるということで妻と近くのディーラーに向かった。
 新しくできたタワーには、数台の新車が展示され、その中にわたしの軽があるのだ。エレベーターホールに真っ白のソファー、そこに座して前を見ると、大型スクリーンに「おめでとう」とばかりわたしの名前が映っている。やがて、画像は自然界を突っ走る風景に変わり、心は颯爽と晴れ渡る。やがて、ファンファーレとともに、わたしの軽が降りてきた。
 所長と担当が笑顔の拍手で迎え、妻に花束が贈られる。こんな経験、結婚式でもしたことのない世代のわたしたちは仰天するばかり、・・・一通り、車の説明がされてわたしたちは乗車する。
 タワーの扉が開いて外へ。えっ、これはなんだ!全社員がならんでいるではないか!
 たくさんの拍手の中で、照れながらも気をよくして家に戻ってきた。
 「さすがはトヨタだね」「全社員40名はいたね」「それにしても凄かったなぁー」「感動だよ」「たかが軽自動車だぜ」と得た感動は大きい。すべてが見世物として「ショウ化」され、相手が「いいね!」を連発する時代が透けて見える。
 「ところで新年だろう?」「福袋なかったね」「そう言えば花束だけだった」「洗剤とかティッシュ欲しかったな」「夢のないこと言うもんじゃないよ」・・・「いい思いしたのだから」と時間と共に冷めてくる。そんなに売れない時代、販売促進に役立つことだけしようという見えざる手が企業に強迫観念を植え付けつつあるというのもうなづける。
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約束の女来ないで、男二人が来た [日記]

 こんなことがあったのです。
 先日、かんぽ生命のS局の〇〇さんという女の方から、自宅に伺って保険の説明をしたいと電話がありました。でも〇〇さんのことは知らないので、「お世話いただいているAさんではないのですか」それとも「この間、窓口で説明いただいたKさんではないのですか」と疑問をぶつけたら、「わたしが中桜田の担当ですから」と言い、「わたしに伺わせてください」と言うものだから、変だと思いながらも了承してしまった。
 そして今日、約束の午後1時になっても来ないのでおかしいと思っていたら、20分ほど遅れて男が二人でやってきました。「女性の方ではないのですか?お二人で来るとは聞いていないよ!」と言ってやりました。そしたら「体をこわしたもんで・・・・」なんて返してきたものだから、「今日の所はお引き取り下さい。」と断ったのです。
 実は、この手法は2度目で、前回は2か月ほど前に女房が経験しました。二人で入ってきて、いつのまにか、新しい商品のセールスが長々と続いたのです。
 本人が来れなければ、電話で知らせるべきです。そして、謝るべきです。時間に遅れてきながら、ニヤニヤと玄関に立っていられたら腹が立ちませんか。体調が悪いなどと言い訳の前に、本人が来れないことをなぜ言えないのだろうか。
 保険と言う信用が大切な商品を扱いながら、このような態度では、話を聞く気にもなれません。彼らは、多分、叱られたとしか思っていないとしたら、かんぽ生命の社員教育の質の低下は歴然ですね。
 それとも、0金利が続く中、終身系の保険に逆ザヤが起きていて、躍起となっているのかもしれませんね。危ない!アブナイ!
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教育現場、確かなことと心配されること [教育]

 教育界の動きの中で確かになったことがある。技術革新が進むグローバルな時代に対応する力を育てるために、①基礎的・基本的な知識・技能 ②知識などを活用して課題を解決するために必要な思考力や判断力 ③主体的に学習に取り組む態度 という学力の3要素を定義し、新しい学習指導要領に反映させたことである。これは、他からとやかく言われることの少ない聖域なのだから当然のことでもある。
 依然心配なことがある。まず難敵財務省がある。少子化が進む中、教員数は減らすことが当然とする主張にどう立ち向かうかである。
 学校現場では、教育困難な家庭の増加や発達障害の子どもへの対応、更に来年度からは、特別な教科「道徳」と小学校5,6年では教科としての「英語」が始まる。当然のことながら、教員が働く環境の更なる悪化が懸念される。ここで心配の種である。自民党の教育再生実行本部と政府がめざす処に違いはないのかという疑問である。
 党は、外国語専科の教員や部活指導員などの外部人材活用を活用して、教員の負担軽減を図ろうとしています。その一方で安倍政権側では幼児教育の無償化などに多額の予算をあてる方針が出されています。
 上の世代から若い世代への富の無再分配が必要とされる大局的視点からは、幼児教育の無償化が必要なのだろう。しかし、より多難な状況が予測される中で義務教育の質の向上が後回しにされるようなことがあってよいものだろうか。
 この辺がしっかり整理して、財務省に立ち向かっていただかないと、最後に困るのはいつも教員である。
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「北(きた)」より「狂(くる)」では? [教育]

 清水寺の森清範貫主が、今年の漢字として「北(きた)」を選ばれました。理由として、北朝鮮のミサイル発射や九州北部豪雨、清宮幸太郎選手のプロ野球日本ハム(北海道)入団などをあげられたそうですが、どうもしっくりしません。
 話題性に着目すると、トピック的になるのでしょうね。もっと世相とか世の中を概観したらどうなるのだろうかと考えていたら「狂(くる)」という「きた」とは対極的な漢字が浮かびました。
 あいつぐ企業倫理の低下事案、相撲協会のゴタゴタ、「このハゲー!」しか残っていない衆院選、教育界では黒髪事件や池田中生徒自殺事件における校長の発言などもありました。そして、一年の締めくくりに相応しく、昨日、来年度予算が公表され、三分の一以上を国債発行などに頼る「財政規律」も吹っ飛ぶような無責任ぶりに腹が立ったところでした。
 この「狂」には、何をやっても許されてしまうような事件が時間と共に忘れ去られ、始めは抵抗していた国民も、儀式と化した「ごめんなさい」会見で終わりとする横着な態度と言い逃れに、労力の無駄と諦め、もはや無力感しか残っていない世相の中に生まれる必然があったのでしょう。
 わたしなりに原因を挙げれば、前にも言ったように、何をするかわからないような人が権力者になっていること、誠実に生きることをあざ笑うような風潮が高まってきていること、お金を儲ければよいと考える大人と就職率だけを考えている学生とが短絡的にある政党に投票したこと、そして、我が身の老いを顧みず自己愛に延命し続ける経営者が多いことでしょうかね。
 
 

 
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誠実であろうとすることは時代に取り残されること [日記]

 長いタイトルが続きました。
 この頃の車の買い方、5年間乗るだけ支払って購入する若者が多いらしい。もっと乗りたければ、残りの金額を支払えばよい。だから、6割程度のお金で新車を手にしているというのだ。もちろん、今の若者たちは車に興味のない人が多く、好きな人はそれこそいろんなパーツにお金をかけている。ちょっと気になる話がある。若者たちは任意保険に多くは入っていないというのだ。確かに事故が起きる確率は低い。それに賭けているのだろうがあまりに無謀である。
 昨日のクローズアップ現代では、ネットを通じて古着売買をしている若者を扱っていた。安く買って、飽きたら売る、この繰り返しらしい。SNSが発達した今、同じ服で写真に写り、アップされることは恥であり、ダサイことらしい。だから、写真が違うたびに服を変えている自分を演出しなければならない。それが古着らしい。
 旧い話である。決まった給料しかもらえない者は、お金をためて車を買ったものである。古着を買うことなどは考えもしなかったし、手に届く安いもので我慢したものだ。バカに誠実に生きてきたものだから、この頃は時代に乗り遅れている自分を感じることがある。
 モノに対する「愛着」とか「節操」みたいなものが薄れてきたのだろうなと思っている。
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何をするかわからない人が強大な権力を握っている [教育]

 少々長いタイトルになってしまいました。
 この2週間ばかり、ちょっと忙しくなってしまい、ご無沙汰していました。その間、心に留まった言葉です。もう少し、丁寧に申しますと「何をしでかすかわからないような人が、地球規模から小さな組織に至るまで、強大な権力を握って、人々を困らせるようなことを仕出かしている世の中は、本当に困ったものだ。」というのが真意です。
 どうして米大統領が他国の首都を決めるのですか。その後どうなっていますか。もりかけ問題、価格と金額を使い分けるような詭弁を使ってくぐり抜けた特別国会、でもね。普通起こるはずのないことが起きているということは、庶民感覚では「黒」に決まっているのです。こんな三文芝居の国会にどれだけ血税を費やしてしまったのでしょうか。涙が出ます。
 大企業のモラルが低下しています。世界に君臨した技術立国日本の旗はボロボロですね。そのトップたちのお詫びの会見。あのいじめで死亡した事件後、「上がってこなかった」「報告がなかった」と校長としての職務を放棄したかのような発言と似ていました。
 なぜこんなことが起きるのでしょう。いつも明るくハイ、デス、マスと上目遣いの立ち位置よろしく成り上がった芯なしたちは、下の者たちの心どころか、その息づかいにも気づかず、上層の空気を吸い続けることで、すべての判断をその世界から下し続けるクローンなのです。
 それでも、何をしでかすかわからない人を選択する人がいることも事実です。だから、あの人も、かの方も、責任を逃れ続けることがこの社会で許容されているのです。恐ろしいことと思いませんか。
 世の中に多様性は大切なことです。それは同一平面で、少なくとも一定の階層の中で、つまり理解し合える間柄と言った方がいいのかな、そうした中で必要なのであって、こんな次元の違うような人には、世の中を動かすハンドルは持たせたくないですね。
 こんな世の中どうにでもなれ!と思っているような人が増えているのかもしれないし、坂本龍馬や高杉晋作のような英傑が生まれべくもない世の中で、彼らは大手を振っているのかもしれません。あぁーいやですね!
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頭のよい子どもに育てよう [教育]

 感心するほど頭のよい子どもがいるものです。「筋が良い」とか「勘が良い」とか、「センスが良い」というのもあります。こういう子どもの特徴は、すばらしい「カエル」をもっているのです。「カンガエル」「キリカエル」「フリカエル」の三つの「カエル」です。
 元々こうした能力に秀でた子どもは、それを自ら伸ばしていく力を持っています。教育、とりわけ学力を向上させるには、ふつうの子どもたちからこの能力を引き出してやることが大切だと考えています。
 「考える」ことは、自己と対象との対話です。どういう自己であるかが問題です。「切り替える」ことは、自己と他者との擦り合わせによって新たな自己を形成することです。ここでも元の自己がどうであったかが問題になります。「振り返る」ことは、自己の変容過程を辿り、それを賞味することです。やはり問題は「自己」なのです。
 学ぶということは、自己と他者との出会いによる新たな自己を自覚することです。その自己とは、優れた学び手としてどうあるべきなのでしょうか。少なくても他者に対して柔軟であること、また寛容であり、時には批判的であることも必要でしょう。
 それは、多様な視点を自由に行き来することで、一つの視点にとらわれることなく、情報を正確に読みとる力、ものごとの論理の筋道を追う力、受け取った情報をもとに、自分の論理をきちんと組み立てられる力、こうした考える力を礎にして、「常識」にとらわれずに、自分の頭で考えていくことなのです。
 多面的に考える、複眼的に考えるというものでしょうか。幸い、そうした能力を引き出す教材がたくさんあります。図形で「補助線」を引いて考える。「ある数を足して、後で引く」ことで計算を簡便にする。分数の「通分」などもルールとして教え込まず、必要によって導き出せればそうです。
 先輩のM先生は、日本の家の屋根には、なぜ「ひさし」があるのか考えたそうです。実際、無駄に見えるものも、日よけになり、雨水を防ぐことがわかってきます。そして、やがて、それが日本の建築美であることに気付くこともできると言われています。
 頭のよい子どもを育てることは、ルーチン学習の地獄に子どもを追いやることではありません。
多面的・複眼的に考えることのできる楽しい授業です。
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排他性 [教育]

 「排除する」の言葉で敗北したのは小池さんでした。ある仲間同士がその連帯を守るために他者を排除しようとする動きは、いろんなところで起きているように見えます。
 メキシコとの国境に塀を作ろうとするトランプさん、欧州連合離脱の国民投票を行ったイギリス、・・・巷には一見様お断りの店があり、学校にはそれに起因するいじめがあります。
 民主主義の社会にそんなことがあってはおかしいと思っていたのですが、この頃は、それが民主主義なのかなと思うようになりました。民主社会の経済発展は、大衆層とは別世界の「エリート層」を生み出しました。教育の機会均等が家庭の経済力によって失われ、高等教育や手厚い高度な教育は富裕層のものとなっていることが指摘されてから20年近くになります。社会の二極化が強まるにつれ、それが益々ひどくなってきているような気がします。
 幼児教育や高等教育の「無償化」が噴いて湧くがごとく出てきたのも、社会の中にこの「排他性」を認めたからでしょうね。
 国会が始まりました。誰だったか「移民受け入れ」について質問していたのですが、これがあっさりと安倍さんは打ち消していました。少子高齢化による人口減少が問題になってから、どれだけ年月が経ったことでしょうか。女性が働きやすいようにと打ち出された幼児教育の諸政策、いろいろあって今は働き方改革でしょうか。その効果は見られず、2,010年に日本はとうとう人口減少国家となりました。
 どんなにもがいても、国民の大半が高齢者では、その国力など知れたものです。日本が「日本」であり続けるために、移民は論外とする排除の論理はどこまで続けていけるのでしょうか。
 近所の公園の近くの新築現場で中東人と思しき人が働いています。飲食店に行けば、中国や韓国人の女性が働いています。方やオリンピックの有力外国人には、日本人に帰化する門戸が開かれているようなニュースを聞くと、この「排他性」にもご都合主義が伺われなくもありません。
 もはや、いろいろな国の人たちが、日本を支えているのではないですか。学校でも、そうしたことを社会科見学などで実地に体験させてはどうでしょうか。それに学校行事での体験や道徳などを通して、わたしたちが内に秘めている「排他性」に目を向けさせるのです。いじめ等、効果があると思いますよ。
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「気づかい」について [教育]

 新聞にハイデガーのことが載っていました。そうしたら、30年前のことが思い出されてきたのです。
 場所は池袋の居酒屋、対座するは尊敬する板垣慧先生です。筑波大附属小の職員会議に誘っていただき、大きな円卓の会議室で行われる教官会議に目を見張ったものでした。そして夜、互いに酒が好きなものですから、授業論を酒の肴にして夜は更けていきました。
 その夜、何度も使われた言葉が「気づかい」(ハイデガー『存在と時間』)でした。気づかうのは、「自分のよき在り方」です。原著では、この行きつく先を「己の死に対する気づかい」とし、その死から「自分の人生をとらえ返す」ことによってのみ「良心に呼び声」に応えることができるとあります。とても難解ですが、後日、少しずつ授業に当てはめて考えてみたのです。
 「気づかい」とは、自分を大切にすること、つまり命を大切にすること、これを支えているのが「自尊感情」です。「己の死に対する覚悟」とは、板垣流では「対象にのめりこむこと」、同世代の有田和正流では「追求の鬼」ということになります。その立ち位置を示すにピッタリの言葉を板垣先生はよく使われておりました。「瀬戸際に立たせる」です。だから、自分はどうかを問い詰めるのです。多様な考えが揃ったら、自分の所属を明確にさせるのです。「良心の呼び声」は、「没頭」です。離陸を終えて成層圏に近づいたジェット機は、もはや空気の抵抗もなく、エンジンを吹かして動機づける必要はありません。これは、当時私たちが考えた山大附小の「ジェット機論」です。
 齢を重ねてくると、今したいことが後送りできないと思うようになります。いつだってできると思えるのは「若さ」です。もうそう言えるだけの勇気はありません。だから、できることはやっておきたいのです。これも「気づかい」なのでしょうね。
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引き際 [教育]

 50日程前、飛ぶ鳥を落とす勢いだった人が、自ら創りあげた組織の代表の座から、自ら降りました。これは「引退」ではありません。信頼して委ねられる次の人ができたようには見えないからです。彼女は、自ら築いた道を棄てたのです。敗者として、また一定の信託を得ながら、負託に応えないままの責任放棄という罪を背負いながら。
 つまり、「花道」を飾ることはできなかったのです。「排除します」と自制のない人間は、所詮、「花道」を歩くに相応しくありませんでした。「花道」とは自分では作れないものなのです。
 引き際とは難しいものですね。惜しまれて辞めるという美学に「花道」はあります。それが、ある地位に昇りつめてしまうと、自分が「一番」の存在だと勘違いされている方がいます。彼らは「代わる者がいない」と言いながら、本心では「やれるだけやろう」みたいな欲望に駆られているのです。そうした組織は硬直し、多様性は失われ、意欲と忠誠は形骸化します。
 「任期」は、そうした弊害を防ぐためにあるものです。
 60歳定年制という区切りの中で、わたしたち教員は引退します。そこには後継者が居て、去る者は感謝の中で「花道」を歩かせてもらいました。
 区切りが曖昧な世界で、「引き際」を考えたとき、首に鈴をつける人間がいないからこそ、そこに「自制」があるべきだと思います。切羽詰まった引退には、「花道」はありません。歩んできた道を「捨てる」だけなのです。
 
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