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墓を要にしてつながる [家族]

 NHKのクローズアップ現代が「墓じまい」を取り上げていた。あまり見る気がせず、むしろいろいろ考えてしまった。
 「子どもに迷惑をかけたくない」「墓を守っていく人がいない」などの理由から「墓じまい」せざるを得ない人がいることはわかる。ただ、そこに新たなビジネスとして新たな弔いの形が出てきていると言う風にもっていかれると、何かが抜けている感じがしたのだ。
 母が亡くなり、父が亡くなり、弟と4人家族の生活は昭和45年までの僅かな時間で途切れていたことに気付く。兄弟ともに結婚し、2人ずつ子どもをもち、今、合わせて7人の孫がいる。みんな合わせて15人。
 この15人を結んでいるのが血統である。父と母からか細い線でつながっている。この線は、誰かが手繰ってやらないと、たちまち個々は飛散してしまうほど弱い。日常の生活には必要としない関係なのだから、無視もできるし、しばし忘れることもできなくはない。
 この危うい関係を結び付けているのが、父と母の入る墓である。お盆には都合のつく者たちが家に集まる。世間話と近況報告みたいなものが交わされる。父と母の思い出話など出ることは少なく、そのうち酔いだけが回ってくる。それでも、若い孫たちのめざましい成長を実感としてとらえ、なんだかよくわからないのだが、血統の安泰みたいなものを感じているところがある。
 こんな繰り返しが続く。そして、互いに「気に掛ける」ことだけは続く。妻はカレンダーに嫁や孫たちの誕生日、主な学校行事、試合の日などが記されている。夜になると、二人だけの会話は、視線をカレンダーに向けて、「今日は〇〇の入学式だね」とどちらからともなく語り、電話が鳴ることを期待しているのに、互いに口には出さない。
 実は、この「気に掛ける」というのが大切なのだ。孫にしてみれば、親との関係に縛られては少々息苦しかろう。そこに、じじばばの無条件の庇護みたいなものがあって、「拠り所」というものが広がる。拠り所は広ければ、期待も広がり、孫たちも意気地なしにはなれまい。
 墓は、命のバックボーンであり、自分の立ち位置をいつも確かにしてくれる拠り所なのだ。ここで、展開されるつながりは、つながっていることで自分がどんなに助けられているか、なかなか意識されないでいるだけなのだ。

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元々秘密主義の国だった [日記]

 「日本の進路を誤らせたのは、日比谷焼き討ち事件(1905.9.5)だと思う」と、司馬遼太郎が語ったことがある。
 「ロシアから金や領土をもっと取れ!」と叫ぶ群衆は、日露戦争の勝利に疑いをもっていなかった。砲弾も尽き、戦争が続けば自滅!を認識していた軍部はもちろん、勝利に疑いを抱いていたマスコミも、不正直なことに群衆の声にピントを合わせていった。
 日本は満州を取って、どんな儲けはあったのだろうか。確かにロシアの南下は防げたかもしれないが、売るべく産業もない国が、イギリス等大国の真似をしてみただけのことだった。
 黒竜江対岸のソ連領ブラゴベシチェンスクの領事館は、「ソ連軍近代化」の情報を送るが、参謀本部が握り潰した。更に、そうした弱虫には「恐ソ病」というレッテルを貼り、出世を止めた。こうして、誰も何も言わなくなった。内幕を知らない国民は、「日本は強い。日本は正しい。」と信じていた。
 政府には政府自身の秘密がある。ある一定の期間手の内は見せないにしても、イギリスもアメリカも25~30年で文書を公開する。そういう国は、やはり国を誤らないのだろう。
 日本には弱みを隠し続ける習性がある。隠すということは卑怯であり、臆病者のすることである。国民に手の内をさらさず、嘘をつきとおして、かつて多くの命が奪われた。
 国会中継も見飽き、企業経営者や公益財団法人の不遜な態度に嫌気がさしている。あんたらぁの意識は、昭和の初めのままじゃないか!

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生きること考えること [教育]

 生きることは考えることである。
 雑草が伸びるから、植木に水をやるのをできるだけ控えていた。ところが、植物に関する岩波新書には、水をやらないと植物は根を成長させると書いてあった。そこで、数センチほど伸びた雑草を根こそぎ掘り出してみると、確かに根は地上部分の数倍に達していた。
 つまり、水を控えていたら、我が庭の雑草は、その根にわずかな水分でも生きられる能力を身につけていた。これでは雨季に入ったら、空恐ろしいことになるのではと不安になっている。
 「水絶てば草枯れる」という、これまで「自明なもの、不動なもの、確実なもの」として疑うことのなかった自分の考えの前提や基盤が揺らぎ、再び考え始めている。
 小学校の学習指導要領で身に付けた程度の知識は、確かに「水絶ち」という知恵によって行動化された。つまり、知識が知恵となるために、わたしは、知識を自分のものとして使いこなした。
 ところが、その知識なり知恵は、大自然の摂理に対して太刀打ちできるものではなかった。だから、わたしは、次なる策として新たな知識を求め、逞しい植物の姿を知ることとなった。さて、どうするかを考え始めている。
 どうだろうか。生きるとは考えることのようだ。しかし、考えることは「動揺」によって始まる。価値観が転換するような、これまで生き甲斐と思っていたことが否定されるような、まぁ、そんな大それたことでなくてもいい、自分を取り巻く環境との関係が少しでも揺らぎ始めたら、子どもは本当に真剣に考えるのではないだろうか。
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