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亀ノ尾のルーツを訪ねて [日記]

 余目第四公民館に併設する「庄内町亀ノ尾の里資料館」を訪ねた。
 民間育種家として「亀ノ尾」を生み出したのは阿部亀治(1868~1928)である。亀治は、12歳で農業に従事し、当時収穫の少なかった「湿田」から農業先進地における「乾田」の普及に努めた。明治26年山形県下は稲作の不良に見舞われる。そんな中、亀治は仲間と立谷沢村の熊谷神社にお参りに行くのだが。そこで、冷害にもかかわらず「惣兵衛早生」種(水口に植える冷立稲)の中に倒伏せずに、健全に結実している三本の稲穂を見つける。その三本をもらい受けたのは亀治26歳の時だった。
 そして翌年からこれを原種として淘汰整理に腐心し、4年かけて病気にも虫にも強い固定種を生み出したのである。これが「亀ノ尾」である。亀ノ尾は、当時の乾田馬耕の導入と相俟って急速に普及したという。
 ところが昭和期に入り、農業試験場などでの研究が進み、多肥多収の優れた新品種の登場により、王座のを奪われることになる。そして飯米品種として姿を消すことになる。
 近年、この「亀ノ尾」を酒米として登場させたのが、同町の鯉川酒造である。 
 鯉川酒造では、阿部亀治のひこ孫にあたる阿部喜一が保有していたわずかばかりの種籾を譲り受け、試験栽培にこぎつけることに成功する。しかし、その後、亀の尾単独で醪一本分の酒を仕込めるようになるまでには四年かかったという。
 亀の尾は、偶然にも粒が大きめであり、米粒の半分以上を精米して削る吟醸酒や大吟醸酒を造るのに適していたということも幸いしたとのことである。
 こうして、この芯の強い、日本酒としてのハードパンチャー「亀ノ尾」をこよなく愛するわたしの総合学習は終わるが、他県に行ったら自慢話にでもしてみたいね。
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いじめ32万件に思う [教育]

 文科省の調査によると、昨年度に全国の学校で約32万件のいじめが把握された。この把握件数は、いじめの定義が変わると増加し、その後減少するという傾向をこの30年間繰り返している。
元々は「自分より弱い者に対して一方的に攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じるもの」だった。06年度に「一方的に」「継続的に」「深刻な」が削られ、13年度には「攻撃」が「影響を与える行為」に変わった。
 そういう意味では、定義が広がり、小さないざこざでも見逃すなという姿勢が読み取れる。いじめは早期対応が絶対であり、この兆しを見逃すまいとする姿勢は大切であろう。
 ただ、把握することに軸足が移り、本来は「いじめゼロ」をめざすものだったものが「見逃しゼロ」に軸足が移っているような感じがする点に心配がある。
 学校が重大な事案を抱えた場合、多大な労力を費やして解決を図らなければならないことは、学校に身を置いたものであれば、痛い程わかる。この際、軽重や深刻度の見極めが大切であり、そこに学校としての組織・体制、教職員間のコミュニケーション、校長等管理職のリーダーシップ、そして日ごろからの保護者との連携が問われてくる。
 実は、肝心なのは、把握に努めるだけでストップしない、これらの探知機能を磨いておくことではないだろうか。重大な事案を見誤ることのない体制づくりである。
 来年度から、この把握件数がまた現象し続けていくとしたら、4度目の轍を踏むことになる。
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質素なだけで貧しくはない [教育]

 「教職」にあったことを時に振り返り、そこに誇りを感じている。これは、お金で買えるようなモノではない。38年間、人生の大切な時間すべてを賭けて、やっと手にしたものである。
 教員としての生活は質素だったように思う。それでも貧しいなどと思ったことはない。質素なだけで貧しくはなく、心は満たされていた。幸せだった。
 第二の職場には5年間お世話になった。はじめは給料がもらえて、そのお金で生活していることの実感があった。しかし、人生という貴重な時間を費やすほどのこともない毎日・・・と思うようになった。
 無職となって半年になった。はじめは為すことのない時間を持て余し、いささか軸のない人間になってしまったような心境に陥った。命をかけた38年間は何も考える間もなく走りすぎ、やっと、自分を振り返るべき時間が来た時、給料仕事に身を委ねてしまった。
 今は、いろいろな方にお世話になったのだから、自分のできる範囲で役に立ちたいと思っている。相手のことを考えて、丁寧に、時間をかけて取り組んでいる。
 昨日、鷲田清一氏の「折々のことば」に、ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領の言葉を見つけた。
 “わたしが思う「貧しい人」とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ”
 
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「ニュースの真相」~嘘を暴く勇気 [日記]

 『ニュースの真相』とは、なかなか興味深い映画だった。
 ブッシュ米大統領が再選を目指していた04年。CBSのベテランプロデューサー メアリー・メイプスは、伝説的ジャーナリスト ダン・ラザーがアンカーマンを務める番組で、ブッシュの軍歴詐称疑惑を裏付けるスクープを放送し、センセーションを巻き起こす。ところが、保守派のブロガーが偽造と断じたことから、CBSは激しい非難を浴びることになり、やがて肝心の軍歴問題は取材打ち切りとなり、取材チームは会社から切り捨てられてしまう。・・・・。
 真実を伝えることを使命とするジャーナリストとしての矜持と信念を示すために行動するメアリーとダンが心理がリアルに伝わってくる。そしてこの辺りが映画の主題なのだろうが、わたしはダンの言葉が気になった。「ニュースは金にならない」しかも「真実に迫るには莫大な時間と経費を要する」だから「会社はバラエティー番組で稼ごうとする」という終末での話だった。
 そう言えば、日本では、「もりかけ」から「不倫」「選挙」を話題に、専門家とも思えない役者たちがおもしろおかしく好き勝手なことを言い合っているのだから内容に責任などあり得ない。 
 思い出したのが、1971年の沖縄返還協定にからむ西山事件。取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが国家公務員法違反で有罪となったが、その後も命を賭してまで真理に立ち向かったジャーナリストはいたように思う。
 今、追求の鬼たちが大人しくなった分だけ、嘘つきたちが大手を振って生きやすくなったのだろう。世の中の動きを見ていると、腑に落ちないことが堂々とまかり通っていることに少々苛ついてくるのだが。・・・・。
 テレビは与党勝利の選挙結果を伝えている。
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嘘と幻滅 [日記]

 希望のためなら、嘘と思しきことも平気で口にする。政治には、理想でしかないことも「必ず実現する」と説く習性がある。
 いっこうに帰国の目途が立たない北朝鮮拉致問題。もう6年半が過ぎても戻らなかった東日本大震災からの復興。見事な招致演説も現実となって戸惑いだらけの東京五輪。・・・当時を振り返れば、みんな威勢の良いことを言っていたのに、現実と向き合ったところで、もはや大したことのできない国家であることを国民の多くは知ったのだろう。そして、「しょうがない」と現実をどんどん肯定し始めている。
 忖度、不倫、暴行、生き残りしか考えずに党派を渡り歩く浮草政治家、更に、小選挙区制がもたらす世襲によって、政治家の劣化は極まった感がある。
 この幻滅にも似たあきらめが実は怖いのではないか。あきらめは「諸悪」を看過してしまいがちなのだ。テレビはどの局も同じようなことを同じように報道する。こちらは視聴率が気になるのだろう。多様性を失いみんな金太郎飴になった。
 こうした世の中は少数意見を排除しがちだ。皆さんは気にならないのだろうか。この一色に染まっていくような気色悪さを。
 この選挙、嘘と幻滅を踏まえて、どうしようもないからベターを選ぶしかない。
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白けてきたね選挙 [日記]

 東北地区の退職校長会があって、土日と蔵王でコーラスの合宿があり、ハードな4日間になりした。どうやら、選挙の大勢が決まったようですね。
 国会の開催要求を跳ね除けた3か月。内閣改造の仕事人内閣が何も仕事をすることもなく、意味の分からない再来年の消費税増税を問うと解散。ジャンヌダルクに見えた小池さんも「排除」と「さらさらない」によって正体がバレ、いつの間にか排除された方々が元気づいているこの頃です。
 悪が成敗されないもどかしさ、リアリティーに欠ける政策への不満、そして、ものごとが遅々として進まない苛立たしさが募って、ちょっと白けてきましたね。それでも白け方が違います。心は煮えくり返っています。
 せっかくの鬼退治の機会だったのに、犬と猿を喧嘩させてしまったうば桜、あなたは、この度の選挙をダメにした戦犯です。
 政権を取ることだけが、小選挙区で勝つことだけが目的になってしまい、政治家としての信条も、人間としての道徳も見えなくなりました。
 本当は、あなたたちのような方にこの国を任せたくはないのです。この歴史的過ちに気付き、最初に国民に謝罪するのは誰でしょうね。わたしはその人を信じたい。
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選挙に浮かぶ「防人の詩」 [日記]

 さだまさし氏の歌曲集『関白宣言』の中にこの曲があります。
 歌詞は、まず、海と山は「死にますか」と問い、風と空も「そうですか」と尋ね、「教えてください」と迫ります。
 コーラスで練習していたら、田んぼや畑、海や川、鉄道やバスはどうなるのか。そして、この山形県は、経済は伸びるのだろうかと浮かんだところでした。
 多分の選挙があるから、そんな想いに駆られたのでしょうね。中央政界はめまぐるしい程変わっているのですが、此処は予想した顔ぶれが揃いました。表札を書き換えただけ方もいるようです。
 「去る人もあれば 来る人もあって 欠けていく月も やがて満ちてくる」それらは「なりわいの中で」と結ばれています。
 確かに人の入れ替わりはあるのでしょうが、月の満ち欠けが起きているのは中央だけで、地方は満ちることなく欠け続けるのではないかと心配されます。
 近頃の政治家は、多分、この「なりわい(生業)」として生き残ることが大切で、この国を思う気持ちが本当にあるのだろうかと疑います。
 政治がドラマ化されてメディアから放出されています。品位も格式ももはやないようです。そう言えば、良い意味での「関白」も居なくなりましたね。
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無償化よりも「質」 [教育]

 幼児教育や高校授業料の無償化などの公約を掲げる党首が3人いた。しかも財政再建に回す約束を反故にして、消費税をそれに使うことを問うための解散だとしている。
 選挙受けのよい話にしか聞こえない。多様化する幼児教育、自由遊びから英語教育、スポーツ重視と選択の幅は広い。当然、内容に応じて学費にも幅がある。それは高校教育にも通じる。無償化は容易いことではない。
 問題は「教育の質」にあることは誰も疑わないのではないか。まず、教員の質の向上。数合わせからいい加減脱却して、子ども減による浮いたお金を待遇改善に回せないだろうか。次に、多忙化解消。実態は各種調査から明らかだが、あらゆる教育問題を学校にお仕着せる社会、学校任せで子どもをいっちょまえにする機能を失った地域そして家庭等、先生方の肩の荷を軽くしようとする動きがまったく起きてこない。学校負担は重くなるばかりである。睡眠を減らし、子どものためにと家庭を犠牲にしてまで働く。そして40年近く学校に身を置いた先生方の多くは、世間を知らないことに気付き、社会で自分で生きていくための諸手続きに苦労している姿をずうっと見てきた。
 コーラスの練習が終わるのが午後9時。某小学校の体育館から中学校のバレー部員が降りてくる。うわべの多忙化解消によって、こんな事態が起きているのはここだけではあるまい。夜遅くまで頑張ることの価値をまったく否定するつもりはない。声高な強硬論は、それに慎重論を唱える者の声に耳を貸さない。だから何も変わらないどころか、悪化の道を進んでいる。犠牲になっているのは、いつも子どもと先生である。疲れ、そして多忙はあらゆる教育の質を低下させている
 何からでもよいだろう。本腰で「質」の問題に取り組んでもらいたい。
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夕暮れの運動着 [教育]

 めっきり日が暮れるのが早くなった。その中を部活を終えた中学生が「運動着のまま」帰宅している。ずうっと前から気になっていた。
 だらしない身なりは行動にも影響しているように見える。一生のうちで輝かしくも瑞々しく、最も可愛らしい時代、人間として個人として自らが判断し、自らを形成していくに大切な時代、考え判断することなく、無造作な身なりが当たり前のように在る。これで文化国家なのだろうか。
 何を言うのだと言われるかもしれませんが、これを真剣に考えていかないと、個人としての「アイディンティティ」の確立、「インディビジュアル」な存在という根源的問題に行きつかない。
 
 本来、人間同士の「つながり」には、集団や組織としての規律や統制はついて回るものである。よい意味では「絆(きずな)」が生まれるが、それに束縛を感じたら「絆(ほだし)」になる。「つながり」にはほど良い自由が必要なのだろう。
 自由というのは、とても耳障りが良いものである。しかし、自由は小さくて弱くて見えにくいものを無視して、ある種の際立つものが横行する場合がある。古い例にルーズソックスがある。自由の中に造られていく「柵」である。人間の悪い習性としての「内と外に分ける」ものである。
 つながり社会に生きるには、個人としての輪郭が求められる。この「個の確立」によって、バラバラではなく、散らばりでもない多様性はつながるのだろうと考えている。
 運動着で帰宅するのをやめるか、そのままにするか、判断の問題ではない。それが問える教育が子どもたちに施されていることが前提にある。「つながり」には、人間同士の調和的イメージがある。それもあるが、本当は、ゴツゴツした個性のぶつかり合い、個々独立した生き方、いわゆる「個の確立」がもっと大事なことなのだと思う。
 この問題をアウフヘーベンしていくと、「制服の在り方」を考えていくことになるのではないだろうか。20年、30年先を考えていかないとね。

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教育で今、考えておきたいこと [教育]

 時間がゆったりと流れているように感じた。廊下には以前と同じように生徒たちの生き生きとした写真が掲示されている。暗く感じたのは、不必要な電灯が消されていたからだ。
 校長室で、校長さんは忙しいだろうに、今、ご自身がとらえておられる教育に関する話題を出してくれた。久しぶりに教育というものについて対話する楽しい時間となった。
 「いのち」の次は何?一つは「地域」ではないか。昨日取り上げた「社会のために役立つ人間を育てる」という観点がある。つながりによる共生的な生き方を創造していくというのもある。とにかく、10年来取り上げてきた多様な「いのち」を、アウフヘーベンしていく時期に来ている。
 「インディビジュアルな人間の育成」をずうっと考えてきた。自ら考え自ら時代を切り拓いて生きていく子どもである。研究主題ベースではなく、なまの生き方としての能力形成である。校長は、全校朝会を「現地集合・現地解散」とした。教室から一糸乱れぬ列をなして体育館に向かい帰るという従来の価値観の転換である。自分で向かえば朝会を能動的にとらえる姿勢が生まれる。友だちと校長の話を振り返りながら談笑して教室に帰る姿が生まれていると言う。そして、何よりも、あくせくと忙しさに追われている生徒たちの心が一時解放される時間が生まれる。わたしたちは、児童生徒を本質的には信頼していないのかもしれない。なぜ部活の帰りに運動着姿で帰宅させるのだろうか。みずみずしくも輝く時代に制服と緩んだ運動着で過ごすことの意味は規律統制以外にはない。インディビジュアルな生き方は、自由を伴い、慣れていない子どもたちは、自ずと統制に向かう可能性がある。あのルーズソックスのようにブームが起きるのである。そして、こうした話題が取り上げられる度に「制服は経済的だ」など別の問題に転嫁されて、本質的なインディビジュアルの形成はどこかに行ってしまう。だから、取り組んでもらいたい。
 危機管理と安全教育、自然災害は予測ができて到来するまでの間がある。だが、前代未聞のミサイルは、今までとは違う。教育委員会の指示待ちではミサイルは通り過ぎてしまう。連絡網による電話ではむしろ混乱を招く。緊急速報が鳴ったら各家庭の判断である。「自宅待機」は学校の決まりでなければならない。校外学習に出ている学級では先生が指示しなければならない。結局は誰も頼ることなどできないのだから、責任は限りなく自己に近づいている。危機管理とは危機回避に対する自己責任行動なのである。学校と家庭とのそれぞれの責任領域が話し合わなければならない。
 「今」に真摯に取り組んでくると「変化」は見えてくるものなのだろう。
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