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老年的超越に学ぶ [教育]

 自分が宇宙という大きな存在につながっていることを意識し、死の恐怖が薄らいだり、他者を重んじる気持ちが高まったりする状態を「老年的超越」と呼ぶらしい。
 慶応大医学部百寿総合研究センターが、訪問調査によって長生きの秘訣を70~90歳代の計2,200人ほどに調査した。すると、超高齢の人たちは、ひとりでいてもさほど孤独を感じず、できることが減っても悔やまないようになり、周囲への感謝の気持ちが高まりやすいという結果が出た。
 いろいろなものを失っても幸せでいられるということなのだろう。そこには、お年寄りが身の程を知ったあきらめもあるのだろうが、それだけでは幸せ感は得られないはずである。そこで考えたのだが、「感謝」ということが大切だということだ。感謝は、過去の回想に生まれる。

 さて、厭な思い出が拭いきれずトラウマとして残る。この超越しがたい感情をどう防ぐかをこのお年寄りたちに学ぶとすれば何があるのだろうか。
 一つには良きにせよ悪しきにせよ、周囲に仲間が要るということであろう。そして、その仲間たちの「おかげ」という事実を認識していることだろう。
 とかく、「成功」や「達成感」が教育では、過度に重視されてはいないだろうか。日常生活のかかわり合いの中で感じられる「おだやかな幸福感」というものも人間形成には外すことのできないもののように思うのである。
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学校の働き方改革推進を考える [教育]

 働き方改革の中で、標榜されているのが「チームとしての学校」です。
 スクール・カウンセラー、スクール・ソーシャルワーカー、スクール・サポート・スタッフ、部活動指導員、スクール・ロイヤーなど、求められているのが教員以外の専門スタッフであることに気付きます。これらを「チームとしての学校」として生きて働く仕組みを校内に構築することは、未知の課題です。
 これまで先生方はじめ「漢字で表記されるスタッフ」に「カタカナで表記されるスタッフ」が加わります。これらの職員の位置づけと役割等に一番戸惑うのは保護者のように思います。広報による説明が必要でしょう。
 また、以前、スクール・カウンセラーが配置された頃、もちろん学校は歓迎したのですが、一部には、「打ち合わせに要する時間」が増えたことに対する苦情もあったものです。こうした変化に対するアレルギーはもっと大きくなることが予想されます。
 校長はじめ、教育委員会は進めるからには信念をもって説明していかなければなりません。変化を恐れず創造の営みを間断なく実践していくことで、常にわたしたちは新しい姿の学校づくりに立ち向かってきたのですから、ここで怯むわけにはいきません。
 と思いながらも、文科省は絶対に本丸の定数改善をなし崩しにしてしまうようなことをしてはいけません。財務省との交渉は肝を据えてやってもらいたい。
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公助で届かない所を共助で [教育]

 教育にかかる費用を社会全体で担っていこうと先の選挙では、各政党が「教育の無償化」を訴えました。親の経済力が子どもが受けられる教育に影響することが言われ始めてから、もう20年近くになります。そして、最近では、日本の人口構造と各世代の経済力を考えた時、上の世代の富を下の世代に降ろしていくことが必要だと言われています。
 ともかく日本の教育には公助と共助がなければ立ちいかなくなっているようです。
 一億総活躍社会の名のもと、みんなが働いているのにおかしいですね。スマホへの没頭が学力低下を招いていることが判明しました。より小さい子どもたちにはゲーム脳が増殖しています。基本的に、もはや監視機能を失いつつある親たちは、かかわる時間の絶対的不足から、そういうものを買い与えることで、子どもとの関係をよいものにと考えているのでしょうか。ここには、お金では買えない公助と共助が求められているように思います。
 働き方改革によって、学校にも様々な人たちの力を得て改革していこうとする動きが出てきました。しかし、働き方改革の本丸であるべき定数改善は大丈夫なのでしょうか。いろんな人から助けていただいている間に、実際に授業を受け持つ先生が減らされるのではないでしょうね。二兎を追うことを財務省が認めるとは思えないのです。
 それに社会の人手不足は、代替教員の不足を招いています。株価に躍らせられた景気は、地方から若い働き手を都会に流し、教員採用試験はこの十年の間に驚くほど倍率が下がりました。それが質の低下を招いているとは申しません。むしろ、そうした流れに抗うこともなく、学力、いじめ、不登校などの教育問題を学校に擦り付けている現状は、見るに忍びない気がします。
 ますます、大変になっている学校を助けたいと思っている人たちがいます。それが、わたしたちリタイヤした者たちです。
 
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「責任」を感じた時 [教育]

 とある祝賀会の企画と運営を実質的に負うことになりました。9月末に実行委員会を立ち上げ、3回の準備会と山ほどメールでのやりとりをしました。
 そして一昨日の夜です。来賓のリストに無い方がいらっしゃいました。わたしがその方に丁重に対応し、お帰り頂きました。すると、参会者の中かから、帰したことを問い詰めてくる方が出てきたのです。すると、相手方の落ち度ではないかと言う事務局員も出てきたので、「明らかにしたところで何にもならない!」と収拾を図りましたが、どうもしっくりしない空気が漂いました。
 来賓リストにある方に案内を差し上げ、出欠については同封のハガキで返信していただくことになっていました。間違ってこられた方には、案内はしていませんし、当然返信ハガキをいただいておりません。真相は想像できます。間違ってこられた方の上司が勘違い為されて声をかけたのでしょう。もちろん、その方は来賓席に座っておられます。ここはぐっと呑み込み、同時にしっくりしない空気も胸いっぱい吸うことにしました。やがてわかることですから、はっきりさせないほうがいいのです。
 宴が終了して間もなく、会場内がざわつき、参会者の一人が倒れたとの知らせが入りました。すぐに、救急車を呼び、当人を安静にさせたまま、ネクタイや靴、靴下を取り、手を握って呼びかけました。やや反応があり、安堵するも、救急車は15分後にやってきて、状況聴取や応急処置で15分、階下の救急車に運ばれ、搬送先が決まるまで10分でした。誰か付き添いが要ります。自ら手を挙げてくれたのがS校長先生、そして部下のT先生でした。百人おれど成せるはわずか。この経験は40年前の海水浴場での救助で味わっています。二人に感謝です。
 ここで見落とせないことがあります。倒れた方の状況を救急隊に具に説明してくれたのが、臨席の女性の方でした。突然倒れたこと。そして目の瞳孔がひっくり返ってこと。・・・・おかけで救急隊としての方向性が定まったようでした。もし、この冷静な目撃者がいなかったら、何でどのように倒れたのかわかりませんでした。
 夜も深まり、無事の連絡が入りました。わたしは、この目撃者にもその連絡をしました。
 「責任」というものを感じています。責任というものがつくづく「自由」と相関する概念であると思いました。すべてが自由の中で自主性によって果たされるものであることです。そして、すべてが「きまり」などに制約されない「日常」の中で自らを律して行動することで果たされるものだと感じたわけです。
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教育現場、確かなことと心配されること [教育]

 教育界の動きの中で確かになったことがある。技術革新が進むグローバルな時代に対応する力を育てるために、①基礎的・基本的な知識・技能 ②知識などを活用して課題を解決するために必要な思考力や判断力 ③主体的に学習に取り組む態度 という学力の3要素を定義し、新しい学習指導要領に反映させたことである。これは、他からとやかく言われることの少ない聖域なのだから当然のことでもある。
 依然心配なことがある。まず難敵財務省がある。少子化が進む中、教員数は減らすことが当然とする主張にどう立ち向かうかである。
 学校現場では、教育困難な家庭の増加や発達障害の子どもへの対応、更に来年度からは、特別な教科「道徳」と小学校5,6年では教科としての「英語」が始まる。当然のことながら、教員が働く環境の更なる悪化が懸念される。ここで心配の種である。自民党の教育再生実行本部と政府がめざす処に違いはないのかという疑問である。
 党は、外国語専科の教員や部活指導員などの外部人材活用を活用して、教員の負担軽減を図ろうとしています。その一方で安倍政権側では幼児教育の無償化などに多額の予算をあてる方針が出されています。
 上の世代から若い世代への富の無再分配が必要とされる大局的視点からは、幼児教育の無償化が必要なのだろう。しかし、より多難な状況が予測される中で義務教育の質の向上が後回しにされるようなことがあってよいものだろうか。
 この辺がしっかり整理して、財務省に立ち向かっていただかないと、最後に困るのはいつも教員である。
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「北(きた)」より「狂(くる)」では? [教育]

 清水寺の森清範貫主が、今年の漢字として「北(きた)」を選ばれました。理由として、北朝鮮のミサイル発射や九州北部豪雨、清宮幸太郎選手のプロ野球日本ハム(北海道)入団などをあげられたそうですが、どうもしっくりしません。
 話題性に着目すると、トピック的になるのでしょうね。もっと世相とか世の中を概観したらどうなるのだろうかと考えていたら「狂(くる)」という「きた」とは対極的な漢字が浮かびました。
 あいつぐ企業倫理の低下事案、相撲協会のゴタゴタ、「このハゲー!」しか残っていない衆院選、教育界では黒髪事件や池田中生徒自殺事件における校長の発言などもありました。そして、一年の締めくくりに相応しく、昨日、来年度予算が公表され、三分の一以上を国債発行などに頼る「財政規律」も吹っ飛ぶような無責任ぶりに腹が立ったところでした。
 この「狂」には、何をやっても許されてしまうような事件が時間と共に忘れ去られ、始めは抵抗していた国民も、儀式と化した「ごめんなさい」会見で終わりとする横着な態度と言い逃れに、労力の無駄と諦め、もはや無力感しか残っていない世相の中に生まれる必然があったのでしょう。
 わたしなりに原因を挙げれば、前にも言ったように、何をするかわからないような人が権力者になっていること、誠実に生きることをあざ笑うような風潮が高まってきていること、お金を儲ければよいと考える大人と就職率だけを考えている学生とが短絡的にある政党に投票したこと、そして、我が身の老いを顧みず自己愛に延命し続ける経営者が多いことでしょうかね。
 
 

 
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何をするかわからない人が強大な権力を握っている [教育]

 少々長いタイトルになってしまいました。
 この2週間ばかり、ちょっと忙しくなってしまい、ご無沙汰していました。その間、心に留まった言葉です。もう少し、丁寧に申しますと「何をしでかすかわからないような人が、地球規模から小さな組織に至るまで、強大な権力を握って、人々を困らせるようなことを仕出かしている世の中は、本当に困ったものだ。」というのが真意です。
 どうして米大統領が他国の首都を決めるのですか。その後どうなっていますか。もりかけ問題、価格と金額を使い分けるような詭弁を使ってくぐり抜けた特別国会、でもね。普通起こるはずのないことが起きているということは、庶民感覚では「黒」に決まっているのです。こんな三文芝居の国会にどれだけ血税を費やしてしまったのでしょうか。涙が出ます。
 大企業のモラルが低下しています。世界に君臨した技術立国日本の旗はボロボロですね。そのトップたちのお詫びの会見。あのいじめで死亡した事件後、「上がってこなかった」「報告がなかった」と校長としての職務を放棄したかのような発言と似ていました。
 なぜこんなことが起きるのでしょう。いつも明るくハイ、デス、マスと上目遣いの立ち位置よろしく成り上がった芯なしたちは、下の者たちの心どころか、その息づかいにも気づかず、上層の空気を吸い続けることで、すべての判断をその世界から下し続けるクローンなのです。
 それでも、何をしでかすかわからない人を選択する人がいることも事実です。だから、あの人も、かの方も、責任を逃れ続けることがこの社会で許容されているのです。恐ろしいことと思いませんか。
 世の中に多様性は大切なことです。それは同一平面で、少なくとも一定の階層の中で、つまり理解し合える間柄と言った方がいいのかな、そうした中で必要なのであって、こんな次元の違うような人には、世の中を動かすハンドルは持たせたくないですね。
 こんな世の中どうにでもなれ!と思っているような人が増えているのかもしれないし、坂本龍馬や高杉晋作のような英傑が生まれべくもない世の中で、彼らは大手を振っているのかもしれません。あぁーいやですね!
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頭のよい子どもに育てよう [教育]

 感心するほど頭のよい子どもがいるものです。「筋が良い」とか「勘が良い」とか、「センスが良い」というのもあります。こういう子どもの特徴は、すばらしい「カエル」をもっているのです。「カンガエル」「キリカエル」「フリカエル」の三つの「カエル」です。
 元々こうした能力に秀でた子どもは、それを自ら伸ばしていく力を持っています。教育、とりわけ学力を向上させるには、ふつうの子どもたちからこの能力を引き出してやることが大切だと考えています。
 「考える」ことは、自己と対象との対話です。どういう自己であるかが問題です。「切り替える」ことは、自己と他者との擦り合わせによって新たな自己を形成することです。ここでも元の自己がどうであったかが問題になります。「振り返る」ことは、自己の変容過程を辿り、それを賞味することです。やはり問題は「自己」なのです。
 学ぶということは、自己と他者との出会いによる新たな自己を自覚することです。その自己とは、優れた学び手としてどうあるべきなのでしょうか。少なくても他者に対して柔軟であること、また寛容であり、時には批判的であることも必要でしょう。
 それは、多様な視点を自由に行き来することで、一つの視点にとらわれることなく、情報を正確に読みとる力、ものごとの論理の筋道を追う力、受け取った情報をもとに、自分の論理をきちんと組み立てられる力、こうした考える力を礎にして、「常識」にとらわれずに、自分の頭で考えていくことなのです。
 多面的に考える、複眼的に考えるというものでしょうか。幸い、そうした能力を引き出す教材がたくさんあります。図形で「補助線」を引いて考える。「ある数を足して、後で引く」ことで計算を簡便にする。分数の「通分」などもルールとして教え込まず、必要によって導き出せればそうです。
 先輩のM先生は、日本の家の屋根には、なぜ「ひさし」があるのか考えたそうです。実際、無駄に見えるものも、日よけになり、雨水を防ぐことがわかってきます。そして、やがて、それが日本の建築美であることに気付くこともできると言われています。
 頭のよい子どもを育てることは、ルーチン学習の地獄に子どもを追いやることではありません。
多面的・複眼的に考えることのできる楽しい授業です。
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排他性 [教育]

 「排除する」の言葉で敗北したのは小池さんでした。ある仲間同士がその連帯を守るために他者を排除しようとする動きは、いろんなところで起きているように見えます。
 メキシコとの国境に塀を作ろうとするトランプさん、欧州連合離脱の国民投票を行ったイギリス、・・・巷には一見様お断りの店があり、学校にはそれに起因するいじめがあります。
 民主主義の社会にそんなことがあってはおかしいと思っていたのですが、この頃は、それが民主主義なのかなと思うようになりました。民主社会の経済発展は、大衆層とは別世界の「エリート層」を生み出しました。教育の機会均等が家庭の経済力によって失われ、高等教育や手厚い高度な教育は富裕層のものとなっていることが指摘されてから20年近くになります。社会の二極化が強まるにつれ、それが益々ひどくなってきているような気がします。
 幼児教育や高等教育の「無償化」が噴いて湧くがごとく出てきたのも、社会の中にこの「排他性」を認めたからでしょうね。
 国会が始まりました。誰だったか「移民受け入れ」について質問していたのですが、これがあっさりと安倍さんは打ち消していました。少子高齢化による人口減少が問題になってから、どれだけ年月が経ったことでしょうか。女性が働きやすいようにと打ち出された幼児教育の諸政策、いろいろあって今は働き方改革でしょうか。その効果は見られず、2,010年に日本はとうとう人口減少国家となりました。
 どんなにもがいても、国民の大半が高齢者では、その国力など知れたものです。日本が「日本」であり続けるために、移民は論外とする排除の論理はどこまで続けていけるのでしょうか。
 近所の公園の近くの新築現場で中東人と思しき人が働いています。飲食店に行けば、中国や韓国人の女性が働いています。方やオリンピックの有力外国人には、日本人に帰化する門戸が開かれているようなニュースを聞くと、この「排他性」にもご都合主義が伺われなくもありません。
 もはや、いろいろな国の人たちが、日本を支えているのではないですか。学校でも、そうしたことを社会科見学などで実地に体験させてはどうでしょうか。それに学校行事での体験や道徳などを通して、わたしたちが内に秘めている「排他性」に目を向けさせるのです。いじめ等、効果があると思いますよ。
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「気づかい」について [教育]

 新聞にハイデガーのことが載っていました。そうしたら、30年前のことが思い出されてきたのです。
 場所は池袋の居酒屋、対座するは尊敬する板垣慧先生です。筑波大附属小の職員会議に誘っていただき、大きな円卓の会議室で行われる教官会議に目を見張ったものでした。そして夜、互いに酒が好きなものですから、授業論を酒の肴にして夜は更けていきました。
 その夜、何度も使われた言葉が「気づかい」(ハイデガー『存在と時間』)でした。気づかうのは、「自分のよき在り方」です。原著では、この行きつく先を「己の死に対する気づかい」とし、その死から「自分の人生をとらえ返す」ことによってのみ「良心に呼び声」に応えることができるとあります。とても難解ですが、後日、少しずつ授業に当てはめて考えてみたのです。
 「気づかい」とは、自分を大切にすること、つまり命を大切にすること、これを支えているのが「自尊感情」です。「己の死に対する覚悟」とは、板垣流では「対象にのめりこむこと」、同世代の有田和正流では「追求の鬼」ということになります。その立ち位置を示すにピッタリの言葉を板垣先生はよく使われておりました。「瀬戸際に立たせる」です。だから、自分はどうかを問い詰めるのです。多様な考えが揃ったら、自分の所属を明確にさせるのです。「良心の呼び声」は、「没頭」です。離陸を終えて成層圏に近づいたジェット機は、もはや空気の抵抗もなく、エンジンを吹かして動機づける必要はありません。これは、当時私たちが考えた山大附小の「ジェット機論」です。
 齢を重ねてくると、今したいことが後送りできないと思うようになります。いつだってできると思えるのは「若さ」です。もうそう言えるだけの勇気はありません。だから、できることはやっておきたいのです。これも「気づかい」なのでしょうね。
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