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夫に切れる妻が急増だって! [家族]

 6.11のNHKスペシャルはこれを解明していた。
 「夫の無理解」が募りストレスとなり、棘のある話し方となって表出するというのが実態である。
 まず、脳科学的に男女の違いを解明する。女性には左脳と右脳とを行き来する横の関係が見られるのに対し、男性には見られない。このことは、目の前の出来事を両方の脳を使って意味づけする女性の記憶は男性を優り、同じ経験しても記憶に差が出る。これがすれ違いの始まりだとする。そして、年齢を重ねるたびにその記憶はネガティブに蓄積され、その攻撃を回避しようとする男性はポジティブにとらえようとするものだから、合うわけがないということである。男性本能には狩猟生活の危険を心理的に回避する必要からポジティブに考えようとする習性があるらしい。
 次に、人類の進化という視点から男女の違いを解明する。一夫多妻制においては、女性のオキシトシン(愛情ホルモン)は子どもに注がれていた。数千年前、性病などの感染から、一夫一妻制に変わり、オキシトシンが夫にも向けられるようになった。そこに競争原理も働くようになり、自ずと女性の中にテストステロン(男性ホルモン)が増えてくるようになった。現代社会では、女性の社会進出が進みキャリアウーマンが生み出されている。概して彼女らのテイトステロン値は高く、思いやりの低下、うつ病セックスレスなどに悩む率が高いとされている。この番組に登場したある夫婦では、テストテロンが奥さんの方が倍以上も高いという結果が出た。奥さんは外国相手の経営コンサルタント、夫は家事に勤しむ。生活実態が反映するのかもしれない。
 こうした背景を男性は理解することはもちろん、オキシトシンを増加するよう行動様式を改める必要がありそうだ。方法は二つある。①見つめ合い、スキンシップを怠らないこと。②同じ目標に向かう。或いは共同作業。
 ともかく、あなたの奥さま、あなたよりテストテロン値が高いんじゃない?もし、そうだったら太刀打ちできないよ!オキシトシンに頼りましょう!
 
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孫の運動会 ~川崎にて~ [家族]

 澄み切った青空、強い日差しの中、時折吹いてくる心地よい風。孫花音の学校の運動会が土曜日にあった。事前に優待席券と許可証(敬老席とは言わないのだろう?)を郵送してもらい、学校に入る時にそれらを提示する。すると、受付の方が肩にリボンをつけてくれる。池田小が残した教訓が大切に守られていることを感じる。
 会場のグラウンドは一炊の余地もない程の人たちで埋め尽くされている。祖父母の姿が目立つ。優待席のテントだけで4張りだ。地域色の薄い人々が、家族的つながり、つまり個人的意味合いによって、これだけの人々が集まっているのである。
 徒競走は女子最終組で2位、立派である。男女混合騎馬戦、旗手となって相手から帽子をもぎ取る快挙、こちらも力から入った。最後の対抗リレー、選ばれるだけでも名誉。「昼飯も喉を通らない」と言っていた緊張を他所に、孫の白組は、とうとう最後まで1位でつないだ。わたしたちがうれしく思うのは、孫が活躍している姿を見て思うことはもちろんだが、こうしてみんなとつながって楽しく生き生きと生活していること自体がうれしい。
 次の日の日曜日、息子夫婦銀座でランチを予約していてくれていた。みんなで楽しく一通り食べ終わった頃、ケーキや果物が載った大きなプレートが運ばれてきた。見れば、「弘じい、お疲れさま」とチョコレートで書いてある。祭りのように終わった5年前の退職。今、家族同士が向き合って、こうした時間が共有できていることが格別である。妻もいろんな意味でうれしかったのだろう。目に涙を溜めていた。




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父の一周忌 [家族]

 父の一周忌がやってきた。あれから一年、毎朝仏壇に手を合わせるようになった。ごく自然にそうなっている。
 34年前、52歳で母が亡くなった時、何とも言えぬ悔しさがこみ上げてきて、仏壇に手を合わせることを必要最低限にして避けていたのが習慣化してしまったのだ。その間、欠かさず仏壇に向かい合っていたのは妻であった。だからよいというわけではないが。
 31歳が65歳になり、変わったのだろう。それが、たまたま父の死が契機となっただけのこと。実際、50歳を過ぎた頃から、朝のジョギングをしては神社で手を合わせて、いろいろな人たちのことをお願いしてきた。それが家族の健康であったり、試験の合格祈願だったり、ある時は、気になる職員のことをお願いすることもあった。
 夢や希望に向かって自分の力で突き進む自信みなぎる頃とは違う、「衰え」なのだろうか、年齢とともに、拝んだり祈ったりすることが身近になったような気がする。
 1月29日の朝、雪に覆われたお墓に花を手向け、妻と二人で拝んだ父の一周忌。


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ネブラスカ [家族]

 一昨日の晩、米映画『ネブラスカ』(NHKBS/モノクロ)に夢中になりました。
 モンタナ州に暮らす大酒飲みで頑固な老人ウディのもとに、「100万ドルを贈呈」というウサン臭い手紙が届きます。すっかり信じ込んでしまったウディは、周囲の声に耳を貸さず、歩いてでも賞金をもらいにいくと言って聞きません。彼の夢は「トラックを買って、昔、友人に奪われたコンプレッサーを取り戻す」という些細なものでした。・・・・
 「父さん、よく読んで。こういうのは最近の詐欺によくある手だ。」と次男のデヴィッドは父を優しく扱おうとします。それに対し「まったくアンタって人は、呆れるよ!」と、毒舌家の妻ケイトや兄などは激しくののしります。
 しかし、そんな父に対し、デヴィッドは哀れみの感情とともに「じゃあ、俺がネブラスカまで連れてってやる」と言い、自ら運転する車での旅行を提案します。彼は恋人に逃げられ、何かと人生の負け犬的存在、その分心は優しく、「せめて現地に行ってくじが外れたのを確認させてあげよう」と思うのでした。
 道中でウディは「わしゃ、宝くじで100万ドル、当てた!」と、親戚や、親交の途絶えていた昔の友人たちに言いふらします。そして、彼らは「その金を手に入れよう」と卑しい気持ちのみでウディに近づこうとします。
 そしてリンカーンで「外れ」が宣告されます。崩れ落ちるウディ。デヴィットは愛車のスバルをトラックに買い替え、新品のコンプレッサーを買い、車に積みます。そして、父の故郷を通過するとき、運転免許もない父に運転を譲ります。・・・・ウディは意気揚々と昔馴染みに声をかけながら、ハンドルを握るのでした。
 アルツハイマーの症状は、時に頑固に、時に従順に身内に圧し掛かってくる。その起伏が手に取るように甦ってくる。不可能を可能にできないまでも、その不可能に他者が関与する、そんな度量がこの頃の家族に欠乏してきたことではないだろうか。

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法事を終えて [家族]

 母の三十三回忌と父の一周忌が終わった。
 母が亡くなったのは、わたしが32歳の時である。長男が小学2年生で次男は年中組だった。山大病院入院していたこともあり、看護を全面的に背負ったのは妻だった。附属に赴任した年の夏に肝がんが見つかり、12月に手術してあくる年の1月14日にこの世を去ってしまった。あっという間のようだが、わたしたち家族にとってはつらい毎日だった。一番不甲斐なかったのはわたしだったかもしれない。慣れぬ環境に捗らない研究で、帰宅が毎日のように遅かった。妻は母に付いているから、しわ寄せは子どもたちに行ってしまった。近くの食堂からの出前だったり、幼い兄弟は松見町のヤマザワに夕食を求めたりした。今振り返ると可哀そうで身震いするような感慨に襲われる。
 こんな時期を過ごしたからだろうが、こうも違う性格の二人は、それを乗り越えて仲が良い。いや、共に歩むという術を学んでしまったかのようにお互いが認め合っているように見える。
 そんな毎日を助けてくれたのが、妻の母だった。その義母が今夏亡くなった。秋田からよく来てくれてはわたしたちを助けてくれた。義母なくしてわたしたちの生活は成り立たなかった。今はただ感謝するだけである。そして伝えていきたいと思う。
 思えば、母は、32歳以後のわたしのことも家族のことも知らない。でも、ずうっと見守ってくれていたような気がする。逆に91歳まで生きた父は、わたしたち兄弟の退職、ひ孫たちの誕生もあったのだが、それが意に止まっているようには思えなかった。
 老いというのは、だんだん自己に意識が集中してきて、もはや周りのことは風景のようにしか見えていなかったのかもしれない。
人は生きた長さに関係なく、人を思うベクトル量は同じなのかもしれない。

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狎れ合いネットワーク 2 [家族]

 悪いながらも症状が安定してきたことから、今朝9時30分、父の転院が告げられた。高度医療を施す病院が療養型病院と区別することで、医療点数の稼げない患者を排除することが当たり前のように行われている。明日をも知れない老人が新年早々転院することになる。
 「1月5日と聞いたのですが?」妻が訊いた。主治医はパソコンの患者データを開いて確認しようとしたが、転院先のデータはまだ記録されていなかった。つまり、病棟はもとより主治医は知らなかったのだ。
 医療支援センターの「I」と転院先のコーディネーター同士のやりとりがあったにしろ、その中味は共有されていなかったし、主治医にも知らされていなかったことになる。
 なのに「I」は、昨日28日の夕方、「転院が決まった」と告げてきた。「I」が我々に最初に転院を告げたのが21日だった。ところが病状が悪化し、22日主治医から「転院は無い」と告げられていた。つまり、21日のことはキャンセルされているはずなのである。
 最後に主治医に確かめた。「悪いながらも、安定してきたから、転院は無いということが変わったのですね」と。そして聞いた。「なぜ、そのことを“I”から聞かなければならないのですか?」そしたら「わたしから伝えるべきでした」と主治医は答えた。
 「今後はナースから連絡させていただきます。」と主治医は言った。なにを意味するのだろう。しばし考えた。「I」は逃げたのである。権限のない者がこうした越権行為をしたのだから。権限には責任がつくものである。責任のない者の暴走してはいけない。「I」は今日に限って臨席しなかった。おそらく転院に関する上司の「決栽」もないのだろうから、出られなかったのだろう。
 帰宅してまもなくして、転院先の病院から入院手続きの書類が届いた。ここまでやるかぁと驚いた。主治医から転院を告げられて数時間後、書類が郵送されてきたのです。
 何を言おうが、コトは進められていた。これは絶対にやってはいけないことではありませんか。「I」は28日にここまで仕事をすすめていたのです。
 わたしは父の転院に反対なのではありません。高度医療施設として当然のことだと思います。問題は手続きです。主治医よりも先行した一看護師の振る舞いはどうも納得いかないのです。「こういうのはこうなるのよ」みたいな狎れあいに反吐が出る程の悪臭を感じるのです。


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狎(な)れ合いネットワーク [家族]

 ネットワークというものは、違うもの同士を結ぶシナプスのようなもので、情報化社会が生んだ逸品である。
 それを利用する者は、部署間の渡りに費やす膨大な時間を節約でき、成熟社会がもたらすサービスを受けることができる。
 今回、病棟と保健医療センター(以下センター)と介護施設とのネットワークの中で、患者である父の今がある。痰が詰まって入院した時、5日から1週間の入院と告げられ、実際、病棟側の主治医は、ほぼその通りに退院を告げてきた。
 すぐに、介護施設と父の着替えや迎えなど退院の打合せをした。今になって思えば、電話に出たSさんは、一瞬口ごもったことを思い出す。
 次の日、退院に赤信号がともる。センターのIさんと施設のSさんとの話し合いが陰で行われ、施設は受け入れを拒否した。Iさんが伝えたのは病棟からもらった看護士からの情報である。耳も聞こえない、声帯もないコミュニケーション不能の父に叫んで得た、「うんうん」だけの情報を文字化したものである。「あなたは実際見たのですか」「どうして施設と話し合うことを教えてくれなかったのですか」と問い詰めたところで、回答などなかった。
 退院ができないこと、施設に戻れないことを知った父は、急激に衰退した。退院を告げられた時、頬に笑みを浮かべ喜んだ、たった5日前の姿は戻らなくなってしまった。
 施設は「受け入れ拒否」を、センターは「療養型病院への転院」を、ともに過去の例から類推した得意のパターン思考によって決めていたのだった。ネットワークには、慣れと刷り込みはあってはならないはずだ。
 今になって、もはや施設には戻れないから状態だから施設に文句はない。ところが、ネットワークの中心たるセンターのIさんは、まるでカウンセリングでもやっているようなスタンスだった。何度も専門的なアドバイスが欲しいと言っているのに、明確な助言は無かった。「ご家族の思う通り」と言いながら、わたしたちは新たな施設に訪問する所だった。
「見込みないですよね?」と聞いたら、頷きかけて「ううっーん」と打ち消した。彼らは気が済むまでやられたらの姿勢なのだ。こんなことで、一瞬輝きだした希望は10日間の徒労によって閉じようとしている。

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介護から看護への道は戻れない道 [家族]

 疲れ気味だったので帰ることを伝えたら、「退院か・・・」という反応が返ってきた。
 もう施設には戻れないことを告げてから丸一日、顔からは生気が消え、物を取るのに自分の腕を動かすのも億劫になってしまった。気を取り戻してもらうために告げたことが後悔される。昨日、あんなに説明したのに、父から出た「退院」の言葉にすべてが打ちのめされてしまった。
 そこには、今でも「退院」をこがれる気持ちが隠されている。同時に、昨日という新しい記憶は残らない認知レベルになったことも示している。
 16日の水曜日、明日主治医から話があることを耳にした父は、「まだかまだか」と楽しみにしていた。17日木曜日の夜、施設が受け入れてくれたらという条件で退院が決まりかけていた時は、顔に血の気が差していた。そして、18日金曜日、打ちのめされるようなことが起きた。土曜日、日曜日と保健センターはお休み。わたしたちは、地団駄を踏むような2日間を過ごしてしまった。
 そして、今日、一昨日「8割方できる」と言っていた痰を取ることが、「できない」方にうなずくようになってしまった。足を見れば、再びリンパ浮腫が膨れ始めている。救急騒ぎから10日、もう歩くことなどできそうもない。63歳で喉頭癌を手術し、1年半かけて身につけた喉頭発声も全体的な体力の衰えからか出なくなってしまった。
 悲しいほど可愛そうで悔しい。
 よくなることなどは望んでいなかった。ただ、この入院が長引けば死は早まると直感していた。それが、たった10日で人間というものをここまで破壊してよいものなのだろうか。
 看護師が掴んだ情報はデータ化され、医師はそれをよく観ていた。すべては、そこから始まり、それが真実としてとらえられ、コトは進められた。基本的に他者とコミュニュケーションがとれない父は、耳が遠いことも重なり、問いに「ウン」とうなづいたのだろう。それが、痰が取れないから施設には戻れないことになった。
 わたしたちは抵抗した。それでも父が本当にそうなってしまったのだから、もう口から出る言葉は無くなってしまった。
 家から施設に移って1年8カ月余り、介護から看護への道、これは戻れない道だったようだ。
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2+2の4人兄妹でした [家族]

 50年も前の昔のことがよみがえりました。当時、わたしの家では、男の子と女の子の二人を預かっていました。共稼ぎのSさんの素直で利発な子どもたちでした。弟と共に、わたしたちは、二人の弟妹ができたことを悦んでいたことを思い出します。
 あれから50年、先日、「やましん川柳」にSさんの作品が掲載されたのを見つけました。早速父に確認し、手紙を書きました。数日後、Sさんの奥様から手紙が届きました。
 そこには、Sさんが脳梗塞で倒れられ、障がいと闘っておられること。二人の子どもも50代あたりですから、お孫さんも就職が決まったり、進学する大学が決まったりといろんなことが起きていました。
 昭和という人と人とが寄り添って生きた時代には、何とも言えぬ血のかよった思い入れがあるものです。その夜、まんじりともしない中、いろんなことが頭を駆け巡りました。
 Sさん夫妻も80歳前後かなとか。T男クンとT子チャンの二人はどうしているのかなとか。
 40年前に下金沢から城南町に移り住み、52歳で母が亡くなりました。その前年附属への転勤があり、以来30有余年、音信が途絶えていたのです。
 Sさんの奥様も喜ばれていたようです。それを知り、わたしはもっとうれしくなりました。ある時点での人と人とのつながりをたぐり寄せ、自分と同じような思いを共有できるということは、晩節一時を惜しむ生き方として大切なことのように思います。

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孫とキャッチボール [家族]

 めずらしく今朝は6時まで寝ていました。いつもは5時前に起きるのにですよ。どうやら、この筋肉痛が原因のようです。それは、サクランボの枝切りをしたからでもなく、枯葉集めをしたからでもありません。
 仙台の孫たちが久しぶりにやってきました。小学校2年生になる上の子が、「キャッチボールしよう!」と誘うものだから、付き合い程度やろうとし出したら大変だったのです。夏前とはまるで違う球速のボールが来るものだから、こちらもぴしっと返していたら、この始末だったのです。
 もう何年どころか、何十年も真剣にやっていなかったキャッチボールです。それでも体がボールに反応するんですね。だから多少無理なコースにも飛びついたり、ジャンプしてキャッチしていたわけですよ。これが、眠っていた筋肉を使うことになり、夕方からこっくりこっくりの居眠りの連発。楽天対巨人の疑惑の判定も夢の中でした。
 孫と地面に落とさずに50球続けることができました。二人で歓びを共有することができました。まあ、こんなことがいつまでできるかわかりません。いつか盃に変わる日が来ることが楽しみになってきました。それにしても、子どもの成長に負けないくらい衰えがきていることも自覚することができました。
 それでも、こんなにも心地よい疲れを感じることさえ忘れていました。だから、ぐっすり眠れたのでしょうね。
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