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小学校最後の運動会 [家族]

 川崎の孫の最後の運動会に行ってきた。
 3日間も泊まらせてもらって、愉しい時間を過ごさせてもらった。たまにしか会えない孫だから、変化や成長が見える。そして、育ってきているものを感じ取ることができるのだ。
 この先、どれだけ時間を共有できるのだろうかと考えてみれば、とても大事な時間のように思う。だからと言って、子育てにとやかく言うつもりはない。
 今回は、山形から持参したミニトマトの苗をプランターに植えてやった。去年から始めたことで、下の方は喜んでいる。ジジィが言うのはただ一言、「毎日水を!」である。
 これには、孫たちそれぞれが、一つでもいいから自分で大切と思うことを、やり遂げてもらいたいという願いを込めている。
 でも、一番変貌を遂げているのは、お父さんとお母さんなのかもしれない。大したものではないか。
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墓を要にしてつながる [家族]

 NHKのクローズアップ現代が「墓じまい」を取り上げていた。あまり見る気がせず、むしろいろいろ考えてしまった。
 「子どもに迷惑をかけたくない」「墓を守っていく人がいない」などの理由から「墓じまい」せざるを得ない人がいることはわかる。ただ、そこに新たなビジネスとして新たな弔いの形が出てきていると言う風にもっていかれると、何かが抜けている感じがしたのだ。
 母が亡くなり、父が亡くなり、弟と4人家族の生活は昭和45年までの僅かな時間で途切れていたことに気付く。兄弟ともに結婚し、2人ずつ子どもをもち、今、合わせて7人の孫がいる。みんな合わせて15人。
 この15人を結んでいるのが血統である。父と母からか細い線でつながっている。この線は、誰かが手繰ってやらないと、たちまち個々は飛散してしまうほど弱い。日常の生活には必要としない関係なのだから、無視もできるし、しばし忘れることもできなくはない。
 この危うい関係を結び付けているのが、父と母の入る墓である。お盆には都合のつく者たちが家に集まる。世間話と近況報告みたいなものが交わされる。父と母の思い出話など出ることは少なく、そのうち酔いだけが回ってくる。それでも、若い孫たちのめざましい成長を実感としてとらえ、なんだかよくわからないのだが、血統の安泰みたいなものを感じているところがある。
 こんな繰り返しが続く。そして、互いに「気に掛ける」ことだけは続く。妻はカレンダーに嫁や孫たちの誕生日、主な学校行事、試合の日などが記されている。夜になると、二人だけの会話は、視線をカレンダーに向けて、「今日は〇〇の入学式だね」とどちらからともなく語り、電話が鳴ることを期待しているのに、互いに口には出さない。
 実は、この「気に掛ける」というのが大切なのだ。孫にしてみれば、親との関係に縛られては少々息苦しかろう。そこに、じじばばの無条件の庇護みたいなものがあって、「拠り所」というものが広がる。拠り所は広ければ、期待も広がり、孫たちも意気地なしにはなれまい。
 墓は、命のバックボーンであり、自分の立ち位置をいつも確かにしてくれる拠り所なのだ。ここで、展開されるつながりは、つながっていることで自分がどんなに助けられているか、なかなか意識されないでいるだけなのだ。

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