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終戦に因んで [日記]

 今年はいつもの年と比べて、終戦にまつわる番組が少なかったような気がする。それでも、心打つ番組が多かった。その中で「インパール作戦」「東京・戦後0年」そして、ドキュメンタリードラマの「華族・最後の戦い」が印象深い。
 特に「華族・・・」では、昭和20年敗戦後の日本に訪れた皇室の危機に際し、天皇の藩屏たる華族がいかにして皇室を守り抜いたか、内大臣木戸孝一の日記などの資料を元にドラマ化された。
 視聴してその趣旨は十分に汲み取れたのだが、新たな感慨が浮かんだ。
 一つは、維新以後の日本が、維新の英傑の血筋によって推し進められたという事実である。木戸孝一は孝允の孫であるように、近衛文麿以下の登場人物はすべて維新の世に結びついていた。だとすれば、この70年のまさに「国体」は彼らによって形作られ、最後は誤った道を突き進んだのではないかということである。
 もう一つは、華族を中心にして、戦争責任を軍部、とりわけ東条英機に負わせていったという事実である。確かに、日中戦争を続け、太平洋戦争に突入せざるを得ない状況を作り、そこに突き進んでいった責任は陸軍にあるのだろう。そして、東条には立場的責任がある。しかし、戦争に向かう横溢するような機運を生んだのは誰なのかということである。大東亜共栄圏を夢見た経済界の思惑が軍部を動かし、政治を無力化したとも考えられる。この見えざる力が、世論を変えていく事実を見逃してはならないような気がする。見えざる力が何であるのか、戦後70年を過ぎてもわからない。
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新北同期会へ [日記]

 昨日、新庄北高18回生の同期会がありました。
 冷えた電車高校生で混むに従い熱気で一杯になり、いつしか48年前に気分はタイムスリップしていた。空は青空、車窓の緑は見事なコントラストを成し、なぜか気分が高鳴った。ついぞ知らなかった駅が3つほどあったろうか、電車に乗ったこともなかったのだから知らぬが当たり前だった。
 メールの案内で集まったのは48人、既に38人が他界していた。それぞれが名札を付けている。しかし、名前にかすかな記憶は残るものの、顔がわからない。あまりの変わりように名前と顔がつながるまでに多くの時間を費やし、閉会を迎えていた。
 3時間ほどの間に20人程度の人とお話させていただいた。みんなが丸くなり、角もなく、鷹揚なじいさん、ばあさんになりかけていた。それでも、歌声が響くにつれ、気分は盛り上がり、声は心の叫びとなっていた。
 いいものだ。同級生とはいいものだ。できる限り、これからも励まし続けられたらいいと思った。
 帰りの電車、ひとりひとりの顔を浮かべながら、一人ワイングラスを傾けてきた。高鳴り続けた胸が静かになるのを感じていた。・・・・。
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45年ぶりに見る能代工 [日記]

 昨日、あづま総合体育館で行われているインターハイのバスケの試合を観戦してきました。めあては能代工高、対戦相手は埼玉の正智深谷高です。
 およそ45年ぶりに見る能代工でしたが、190㎝台を3人擁する深谷から終始圧倒され、完敗でした。もちろん目の前で能代工が敗れる姿を見たのは初めてです。常に、相手をスピードで圧倒していた平面バスケの面影も見ることができず、無理に突っ込んではサンドイッチにされたり、シュートを潰されたり、ヘルプのないままの苦し紛れのパスは相手のカットの餌食となっていました。
 深谷は、攻めてはすぐにアウトサイドからのシュートにもっていき、身長差を生かしてリバウンドで加点するという作戦のようで、流れを止めない試合運びは、ペースとして100点ゲームをめざすところと読めます。能代は、パスを回しながら一対一で身構えてから攻撃開始という状況で、一旦流れが止まる感じで攻撃にかかるものだからディフェンスの餌食となってしまうのです。
 バスケのことはもうわかりませんが、深谷を見ていると、ともかく得点を取って楽しむという意識と、格闘技に向かうような攻撃的意識とがマッチして、しかも個々が自由奔放なプレイスタイルを身に着けていることを感じてきました。知らない間に、こうもプレイスタイルが変わっていることを知り、時の流れというものを感じたところです。
 我々の時代は、手本は雑誌ぐらいなもので、NBAを見ることもなければ、ましてインターネットなどを通じて学ぶこともありませんでした。よくよく考えてみれば、高校バスケにもグローバル化の波が打ち寄せていたのです。
 それにしても、能代工高には、また新たなスタイルに脱皮して、新しい時代を担ってほしい思いもあります。
 
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能登半島へ その3 [日記]

 輪島から一時間弱、迫力ある断崖の「能登金剛」が続く。その南端にある名所「巌門」を通り、県道36号線を南下すると、ここで自然景観が閉じたことを知る。いきなり立派な道路の左側に、コンクリートの壁が続く。北陸電力志賀原子力発電所である。所々にある壁の隙間から車が駐車しているのが見える。原発とはかくも多くの人びとを吸い込むように雇用している現実に驚く。
 そう言えば、右はすぐ海で標高11mの高さは、東日本大震災後に大きな問題となり、壁のかさ上げ工事が行われたはずである。もっと大きな問題は、第一号機直下に活断層が走っているとする解釈が合理的とされてから、いまだに1,2号機とも再起動されていない。
 原発の人工的景観が過ぎると、『花のミュージアム フローリィ』の看板が目に入ってきた。興味津々、車を山手の方へと向ける。すると、南欧風の立派な建物の前に出た。
 入った瞬間、思わず「素敵!」と目を丸くしてしまうほど、綺麗に整備され、どこかの宮殿にでも来たような空間である。天井が高く、開放感は十分、ところどころに噴水があり、水音が心地よく響き渡り、室内には洒落た音楽が水音とハーモニーを奏でている。屋外のアリスの庭園では、コリウスなどカラーリーフを中心とした、耐暑性のあるものが多くなりハツラツとした空間が続いている。
 回廊の2階に上がり、レストランに入った。どこへ行っても味わえないだろう贅沢と気品の空間に包まれる。わたしはスパケ゜ッテイのプレートを妻は冷製かぼちゃスープ注文した。
 入場料無料? 出口の案内板に小さく「北陸電力」の名が記されていた。
 あっそうか。・・・そうなのです。 でも、凄いところ、見つけました!
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能登半島へ その2 [日記]

 おそらく20年ぶりの輪島だと思う。街は小奇麗に整備された分、かつての味わいとは違っていた。フロントから近辺地図をもらい、食事に出かけた。
 ところがどうしたことか。飲食店街には「閉店」のビラが貼られ、手頃な店が見つからず、ホテルに戻って食事しようかとなった。フロントで「閉店が多くて~」とぼやいたら、「わたし的にはこことここをおすすめします。」「天気もよいので魚もあがり、開いていると思いますよ。」と勇気百倍の情報をいただいた。
 ガラガラと戸を開けた。調理場をコの字型にカウンター席が10席足らずなのだがスペース的に余裕のある店である。四十絡みの女将さんと一目見て職人肌の旦那が二人で切り盛りする店である。客が来たからといって、威勢の良い声をかけるでもない、即座にお通しがでてくるわけでもない。いきなりゆったりとした時間進行にギアチェンジしたようだ。
 暑さは生ビールを要求していたが、ジョッキで飲むほどは欲しくない。それをおかみさんに告げたら、ミニジョッキのビールを用意してくれた。お通しはイカとタコの和物。早速ビールを飲み干し、刺身と日本酒を所望する。
 刺身は、獲れたての赤いかとあご(飛魚)、そしてお薦めの〆鯖とし、酒は地元の純米酒「千枚田」と決めた。
 旦那が大型冷蔵庫から仕込んでおいた魚を取り出してきて、目の前のまな板に広げた。魚が輝いている。そこに、大きく切れ味が見た目にもわかるような包丁が、見事な裁きで入っていく。
 あっと言う間に赤いかが目の前に出た。冷蔵庫から醤油が取り出され、注がれる。すかさず生姜をといて一口、「うー、おー」と唸つてしまった。・・・・・・・あごは細かく刻まれて出された。引き締まった肉質が酒と合う。・・・・そして〆鯖、赤紫の肉質と青緑にかがやく皮は、期待を裏切らなかった。
 ここは輪島、食事処『錨』での話である。
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能登半島へ その1 [日記]

 「夏から秋へのぉ~能登半島ぉ~」とはいきませんが、能登半島を車で一周してきました。3泊4日で走行距離は1,285km、全て一般道を突っ走り、平均時速は44km。それに我がプリウスは運転上手もあって平均燃費28kmを記録しました。
 夏休み前の能登路は、人も車も少なく、特に狭い沿岸道路はすれ違う車にしばらく出会えないこともありました。紺碧の海、それに負けないほどの海の青さ、あげ塩の白さ、千枚田の上品な緑と自然を満喫することができました。
 ちなみに新潟以南に車で向かったのは初めてでした。親不知子不知の断崖をすり抜け、糸魚川ではフォッサマグナミュージアムを見学し、一泊目は蜃気楼の街、魚津の駅近辺に宿泊しました。意外にもやや淋しい街で、近くの大型スーパーの地下で、寿司と刺身と白海老の天ぷら、それに酒を調達してその日は終わりました。
 今日はこの辺にしておいて、後日、掻い摘んだ話を書こうと思っています。
 
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性格悪い人には辞めてもらおうよ! [日記]

 昨日は一日中、衆参の参考人質問の中継を見ていました。
 前川さんの自信に満ちた揺るぎない答弁が光りました。藤原さんや常盤さんらは、煮え切らない答弁ながら、役人というものはこういうものだろうと逆に置かれた立場を考えれば納得できました。山本地方創生大臣もこれに近かったかなと思います。
 意外だったのが萩生田副官房長官でした。風貌はなんとなく悪人を思わせるのですが、この人、途中から担ぎ出された中継ぎ人だったのでしょう。残された文書からは、彼の指示みたいになっていますが、それは文面上の話で実はそうではない。でもその真相は彼とて語れないということなのでしょう。
 これだけの人たちが、ナメタガレイのようにしがみつきながら、真実を語れないのは、「安倍一強」と言われてきた情勢と伝家の宝刀「人事」をにぎるのが内閣府、つまり官房長官、ひいては首相という制度上の問題が見えてきます。
 黒幕は誰か。もちろん安倍首相だと思います。実行犯は、和泉首相補佐官でしょうね。でもね。こんな封建社会のような構造の中で、犯人捜しは無理な話だと思うのです。誰も本当のことを言わないのですから、やはり、国民が安倍くんに「ノー」を突き付けないと真実は出てこないのです。
 そこで誰がやった。誰が悪いという話はやめましょう。何が悪かったのでしょうか。
 もの凄く簡単な答えです。「人を敵と味方に分ける」ことが悪いのです。お友だちには甘く、敵は「こんな人たち」と言ってなじる。すべて、安倍くんの性格に帰するのです。
 こんなことを先生たちが子どもたちにやったらどうなりますか?先生務まらないでしょう。
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天皇家と安倍一族の差 [日記]

 眞子さま婚約内定の発表が延期されました。九州豪雨を案じて小室圭さんとお二人で判断されたそうです。いち早く被災地へ駆けつけ、励ましておられた天皇皇后両陛下のお姿と重なるものを感じています・
 一方、都議選で応援演説する首相に対する「やめろ」コールについて、「プロの活動家による妨害」とする真偽定かならぬフェイスブックの投稿に対し、昭恵夫人が「いいね!」を送っていたのには驚きを越えて呆れてしまった。そして、お手振りしながら、タラップを手をつないて登り、ヨーロッパへと飛んで行ったのだから、大した心臓の持ち主のようだ。
 稲田氏も同じだ。この災害時に公務を離れたことを屁とも思わぬ態度を貫き通している。昨日、神町の第六師団も
彼女の命により、トラックを連ねて九州へと向かった。
 日本人ならば、天皇家の人々に賛意と敬意を払いたい。この頃は、安倍さんを取り巻く人々の顔を見るだけでむかつく。来月には首を据えかえるそうだが、性根の曲がった人間の話などもう聞きたくない。
 
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「鶯告春」にまつわる話 [日記]

 一つの歌が結びついて分かったことがあります。
  野澤の氷 とけそめて
  うら若草や もえぬらん
  春来(く)と告(つぐ)る うぐいすの
  こゑの末こそ かすむなれ
             『鶯告春』
 作曲はLメーソン、この作詞は山田源一郎です。昨年のコールマイゼン定期演奏会で歌いました。最近になって、原曲が讃美歌320番『Nearer,My God to Thee(主よみもとに近づかん)』であることを知りました。そして、一昨日のNHKテレビアナザーストーリー」を見ていたら、タイタニックが沈没寸前の時、あの楽団員たちが最後に演奏していた曲であることがわかったのです。明治時代の訳詞ですが。
  主よ みもとに近づかん
  のぼる道は 十字架に
  ありとも など かなしむべき
  主よ みもとに近づかん
 3行目が難解ですが、こう読むといいようです。「(さは)ありとも など(てか)悲しむべき」と。意味は、「そうであっても、どうして悲しむことがあろうか。いや、悲しむべきではない。」ということになります。
 『鶯告春(おうこくしゅん)』にまつわる話でした。
 知るということは楽しいことです。

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ある文民警察官の死を知って [日記]

 1993年5月4日昼過ぎ、タイ国境に近いカンボジア北西部のバンテアイミアチェイ州のアンピル村で、そこに駐在していた国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の日本人文民警察官5人が、オランダ海兵隊部隊の護衛を受け、車両6台で国道691号線を移動中、身元不明の武装集団に襲われ一人が死亡し、4人が負傷した。
 死亡したのは、高田晴行・岡山県警警部補(33)、文民警察官、つまり丸腰の警察官の犠牲は初めてだった。
 先日、NHKはこのドキュメンタリーを放映した。アンピル村には電話もファックスもなかった。空港で見送る家族の涙を見て、志願を誰もが悔やんだと回顧する。ポルポト派が蔓延る未開の地で、彼ら10人は恐れおののき、死を覚悟する。持ってはいけない銃を15㌦で買い、自分の身代わりを身銭で雇ってはこの地を離れたこともあった。そんな無謀ともいえる地を当時の川野辺寛警部・神奈川県警が訪れる。我々を襲ったのは誰か。当時ポルポト派の隊長だった男は国境警備隊の隊長に変身していた。彼は「イエス」とも「ノー」とも答えてはくれなかった。
 わたしは、この春、カンボジアのバンデアイチュマール遺跡を訪れている。赤茶けた土の道、緑のジャングル、そして今でも思い出されるのが、周囲の殺気立った空気だった。国道69号線といってもすれ違うのもやっとの埃の道、やがてすれ違う車もない。この道から外れた国道691号線で20キロ足らず、そこにアンピル村があったことを知る。そこは想像に足る壮絶な所だったろう。眠れたのだろうか。何を食べていたのだろうか。プノンペンの本部に居た明石特別代表は、選挙を成し遂げるために彼らをここに送った。彼はこの苛烈な状況を当時知っていたのだろうか。
 テレビを見て感じた憤りの地は、ついこの間、自分で踏んでいた土と変わらぬところであったことに驚く。こういうのを「実感」というのだろう。
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