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まどろっこしさに急かされて [日記]

 舞台は1990年代末のイギリス。介護人キャシーは、ヘールシャムという施設で育てられた提供者たちの世話をしている。そもそも、キャシーもそこで育った提供者である。施設を出て、今、大人となったキャシーは、ヘールシャムでの時代を一人語りで回想していく。
 回想は具体でありながら、語られる世界への疑問は増幅しながら、一向に解消されないまま読み進めていくことになる。だから、読み手は、物語の背景を早く知りたくて先を急ぐ。しかし、語り手は、そうした肝心なこと、つまり、読者が真っ先に知りたいと思うような情報をすぐには明かしてくれない。
 やっと、キャシーは説明を始める。この「ヘールシャム」いう施設は、臓器を提供する目的で作られたクローン人間である子どもが集められ、その「使命」を果たせる人間になるべく育てられている場所だと。しかし、ここが何の目的で存在している場所なのか、どんな子どもが集められて、育った子どもたちはここを出た後どうなるのか、といったことについての説明は後回しにされる。
 キャシーの語りの断片をつなぎ合わせ、場面を構成していく苦労は、並大抵ではない。しかし、読み進めていくと、物語全体の深奥にある真実や、その前提として恐ろしい世界が浮かんでくる。
 解釈のまどろっこしさは、むしろ先の展開への興味をそそるものである。ノーベル賞作家カズオイシグロの『わたしを離さないで』は、眠ることを忘れさせ読者を離さない!

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ミスをして、思う [日記]

 ミスをしてしまった。広報に掲載する名簿に過ちがあったのだ。原稿を提出してから二か月近くにもなって見つかったミス。広報は既に印刷され、各地域へ配送する段階まで来ていた。
 年末と言うこともあり、各地域からの回答が揃っていなかった。それを県庁に行って調べたままに原稿にしたのである。地域が把握する住所と県教委が把握するそれとが違っていたり、非会員は掲載しないというルールがあったりするものだから、そこに狂いが生じてしまった。
 一晩後悔した。調査無視はちょっと甘かった。年末と言うこともあって仕事を急ぎすぎたきらいもある。総じて、一人作業は点検がおろそかになる。
 さて、対策だ。広報担当にはいつも完璧な仕事をなさる人だけに、大変な泥をかぶせてしまった。部分的な貼り紙などできようもない。印刷し直しとなると、全体で10ページのうち、4ページの印刷し直しが必要となる。無駄な経費がわたしのために出ていくことになる。そして、ページの差し替え作業が出てくる。・・・今日から3連休である。印刷所は月曜日まで動かないかもしれない。
じっと、これからの対応が明確になる時を待っている。

 情けない時間が過ぎる。考えてみると、年のせいかと思うことがある。日常生活の中でもつまらないミスが多くなった。モノをどこに置いたのかも忘れることがある。人の名前などは出てくるまでが悩ましい。緊張感が足りないのだろうか。いや、五感がすべて衰えてきているからのように思う。
 それでも自分を励ます。「やらない者にはミスはない」と。そして、「ミスして大事なことは二度としないことではなく、誠意をもって対応すればいい。」と自分に言い聞かせ、さて、動き始めるとするか。この土曜日。
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「隙」ができて得るもの [日記]

 2月に入り、立春も過ぎると、厳しく告げられる天気予報も、実際は思ったより穏やかな天気だったりすることが多くなった。
 人は思ったより「以下」であったりすると、心に「隙」ができやすい。
 わたしは、若い時分、5月に重いかぜを惹くことが多かった。熱が出て、寝ていても暑いものだから寝相が悪くなり、一向に快方に向かわず、よくこじらせていた。
 責任というものを感じるようになってからだと思う。自分の体を気遣うようになった。「隙」ができないようにと心に命じていた。

 今、職から離れて自由人になって、「隙」だらけのような生活をしているかと言えば、そうではない。気づかう代りに「無理」をしなくなった。少しでも「自分を越えた」と思ったら、何気兼ねなく「休む」ことにしている。そのわずか数十分の眠りが、すべてを蘇らせてくれる。
 思えば、日本人と言うのは、どうやら「休む」ことに罪悪感をもちやすい人間らしい。これでは、ひらめきは生まれないのだ。ぼけーっとしたり、大きく欠伸をしたり、・・・。自分から何かが失われるようなことをすると、本当は得るものが生まれてくるのではないか。 今、そう思う。
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公益財団としての問題が問われていない! [日記]

 理事が一門の思惑で決まり、彼らが相撲協会を実質的に運営する。利益を得ることなく、余すところの金は公益に付される。だから、相撲協会は公益財団法人の認可を得て、納税を免除されている。
 親方衆の約10%に当たる者が理事となって、百数十万の月給を得ている。普通の親方衆より数十万高い給料もそうだが、相撲協会を我が思いのまま動かせるのは美味しすぎる。
 翻って、ここで起きた一連の不祥事に、この理事会は一切責任をとらなかった。ガバナンス(団体自治)、ディスクロージャー(情報公開)、コンプライアンス(説明責任)の三つは、公益財団法人であるための大原則だと聞いている。ガバナンスが破綻し、ディスクロージャーを誤魔化し、コンプライアンスが不十分なまま、誰も辞職していない。
 この職がどんなに美味しい役職なのかがわかる。公益を司るがために認められている数多の利益をそのままに、彼らは国民に対して失礼極まりないことではないか。
 数年前に行われた民法法人改革によって、これらの公益財団法人が生まれた。こうした財団が天下りの隠れ蓑になっていたり、陰で権限を利用して膨大な利益をあげていたりする悪徳財団の撲滅がねらいだったらしい。どうやら、数年経って瑕疵が見え始めている。間違いなく、辞めたくない人は、責任をとらない人となり、我が牙城を守ろうとしているように見える。ここまでだらしのない公益財団ならば、その運営実態がどれだけドロドロしているか想像がつく。
 わたしは、確かに貴ノ花は好きである。ところが、この度の問題が「公益財団日本相撲協会」の問題であったのに、「貴ノ花問題」にすり替わってしまったようだ。しかし、この問題は、日本相撲協会の問題でもない。ずばり、「公益財団法人としての問題」が問われるべきではないか。だから、相撲協会に限らず、各財団において自らを律する仕組みが確立されているのか、関係省庁は点検すべきである。あんな不始末をやっておきながら、高額の給料をもらっている理事がいるというのは、国民目線からズレているとしか思えない。
 
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大正ロマン [日記]

 大正9年3月の上旬、柳原白蓮は銀座を歩いている。
 
 いたるところで『ゴンドラの唄』というやたら甘ったるいメロディが聞こえてくる。
 いのち短し
 恋せよ乙女
 朱き唇あせぬ間に       -林真理子『白蓮れんれん』から-

 そこには、白牡丹やゑり久、御木本装身具店をのぞき、千疋屋でお茶を飲んだとある。
 大正4年に発表された『ゴンドラの唄』は、母の死後、中山晋平が悲しみに暮れる汽車の中で歌詞が語りかけてきたという。前作の『カチューシャの唄』ほどには流行らなかったらしい。それでも5年後の銀座を包み込んでいた。
 白蓮の戯曲『指鬘外道』は、前年の12月に雑誌「解放」に発表され、あくる年の1月、東京帝大の学生宮崎龍介は、柳原家の別府の別荘に白蓮を訪ねる。『指鬘外道』の刊行と上演の打ち合わせが当初の目的であった。それが・・・
 小倉まで宮崎を送る白蓮、別れた次の日から宮崎は毎日のように恋文を送ることになる。そして、白蓮34歳、宮崎27歳の逢瀬は、ゴンドラの唄が響く3月に始まる。
 4月の男声合唱祭(南陽市)で、我がマイゼンは『ゴンドラの唄』を演目の一つに決めた。白蓮を読みながら、その時代の空気を感じてみた。
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写真は心を温かくする [日記]

 大きなコルクボードに世界地図を貼り、行ったことのある国や都市にカラフルな待ち針を刺す。そして周りには、思い出の写真をホルダーからチョイスして印刷し、貼った。単調になりがちな毎日ではあるが、楽しい思い出に浸りながら生活するのも素敵なことではないかと思ったのである。
 最初のバンコクから昨年のカンボジアまで15回で20ヶ国を訪れた。この12,3年の間には、いろんなことがあったのだが、それらが一つ一つの旅行とは結び付いていないことに気付く。旅行とは全くの非日常として生活とは切り離された思い出なのである。
 写真を見比べると、老けていく過程が見て取れる。ふざけてもじゃれても様になるのは、比較的若い時である。段々と表情に変化が乏しくなり、心からの楽しさが表出されていない。あーぁ、老けるとは「伝える力が弱くなることか」と思う。
 それでも、夫婦の歴史を可視化することは、心を温かくするものだ。こんなことをしていたんだ。とか、あの時はこうだったなぁー。と記憶だけでは消え去りそうなことをそのままにしていたのでは、もったいない。今が今だけを見て、いろんなことを言い合ったり、思い込んだりしては、相手に対して失礼なことであることに気付く。
 そう言えば、センター時代の講義の中で、「昔の写真は心を温かくする」と言っていた時がある。この寒中、写真に暖を求めてはどうだろうか。

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軽買って、殿様気分に [日記]

 ついに欲望の増殖が抑えられ、「もっともっと」とばかり不確実な未来へ備えることもなくなった。そして、たかが車の話ではあるが、新年を迎えて「軽自動車」に乗り換えることにした。
 新車引き渡しの日、セレモニーがあるということで妻と近くのディーラーに向かった。
 新しくできたタワーには、数台の新車が展示され、その中にわたしの軽があるのだ。エレベーターホールに真っ白のソファー、そこに座して前を見ると、大型スクリーンに「おめでとう」とばかりわたしの名前が映っている。やがて、画像は自然界を突っ走る風景に変わり、心は颯爽と晴れ渡る。やがて、ファンファーレとともに、わたしの軽が降りてきた。
 所長と担当が笑顔の拍手で迎え、妻に花束が贈られる。こんな経験、結婚式でもしたことのない世代のわたしたちは仰天するばかり、・・・一通り、車の説明がされてわたしたちは乗車する。
 タワーの扉が開いて外へ。えっ、これはなんだ!全社員がならんでいるではないか!
 たくさんの拍手の中で、照れながらも気をよくして家に戻ってきた。
 「さすがはトヨタだね」「全社員40名はいたね」「それにしても凄かったなぁー」「感動だよ」「たかが軽自動車だぜ」と得た感動は大きい。すべてが見世物として「ショウ化」され、相手が「いいね!」を連発する時代が透けて見える。
 「ところで新年だろう?」「福袋なかったね」「そう言えば花束だけだった」「洗剤とかティッシュ欲しかったな」「夢のないこと言うもんじゃないよ」・・・「いい思いしたのだから」と時間と共に冷めてくる。そんなに売れない時代、販売促進に役立つことだけしようという見えざる手が企業に強迫観念を植え付けつつあるというのもうなづける。
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約束の女来ないで、男二人が来た [日記]

 こんなことがあったのです。
 先日、かんぽ生命のS局の〇〇さんという女の方から、自宅に伺って保険の説明をしたいと電話がありました。でも〇〇さんのことは知らないので、「お世話いただいているAさんではないのですか」それとも「この間、窓口で説明いただいたKさんではないのですか」と疑問をぶつけたら、「わたしが中桜田の担当ですから」と言い、「わたしに伺わせてください」と言うものだから、変だと思いながらも了承してしまった。
 そして今日、約束の午後1時になっても来ないのでおかしいと思っていたら、20分ほど遅れて男が二人でやってきました。「女性の方ではないのですか?お二人で来るとは聞いていないよ!」と言ってやりました。そしたら「体をこわしたもんで・・・・」なんて返してきたものだから、「今日の所はお引き取り下さい。」と断ったのです。
 実は、この手法は2度目で、前回は2か月ほど前に女房が経験しました。二人で入ってきて、いつのまにか、新しい商品のセールスが長々と続いたのです。
 本人が来れなければ、電話で知らせるべきです。そして、謝るべきです。時間に遅れてきながら、ニヤニヤと玄関に立っていられたら腹が立ちませんか。体調が悪いなどと言い訳の前に、本人が来れないことをなぜ言えないのだろうか。
 保険と言う信用が大切な商品を扱いながら、このような態度では、話を聞く気にもなれません。彼らは、多分、叱られたとしか思っていないとしたら、かんぽ生命の社員教育の質の低下は歴然ですね。
 それとも、0金利が続く中、終身系の保険に逆ザヤが起きていて、躍起となっているのかもしれませんね。危ない!アブナイ!
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誠実であろうとすることは時代に取り残されること [日記]

 長いタイトルが続きました。
 この頃の車の買い方、5年間乗るだけ支払って購入する若者が多いらしい。もっと乗りたければ、残りの金額を支払えばよい。だから、6割程度のお金で新車を手にしているというのだ。もちろん、今の若者たちは車に興味のない人が多く、好きな人はそれこそいろんなパーツにお金をかけている。ちょっと気になる話がある。若者たちは任意保険に多くは入っていないというのだ。確かに事故が起きる確率は低い。それに賭けているのだろうがあまりに無謀である。
 昨日のクローズアップ現代では、ネットを通じて古着売買をしている若者を扱っていた。安く買って、飽きたら売る、この繰り返しらしい。SNSが発達した今、同じ服で写真に写り、アップされることは恥であり、ダサイことらしい。だから、写真が違うたびに服を変えている自分を演出しなければならない。それが古着らしい。
 旧い話である。決まった給料しかもらえない者は、お金をためて車を買ったものである。古着を買うことなどは考えもしなかったし、手に届く安いもので我慢したものだ。バカに誠実に生きてきたものだから、この頃は時代に乗り遅れている自分を感じることがある。
 モノに対する「愛着」とか「節操」みたいなものが薄れてきたのだろうなと思っている。
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亀ノ尾のルーツを訪ねて [日記]

 余目第四公民館に併設する「庄内町亀ノ尾の里資料館」を訪ねた。
 民間育種家として「亀ノ尾」を生み出したのは阿部亀治(1868~1928)である。亀治は、12歳で農業に従事し、当時収穫の少なかった「湿田」から農業先進地における「乾田」の普及に努めた。明治26年山形県下は稲作の不良に見舞われる。そんな中、亀治は仲間と立谷沢村の熊谷神社にお参りに行くのだが。そこで、冷害にもかかわらず「惣兵衛早生」種(水口に植える冷立稲)の中に倒伏せずに、健全に結実している三本の稲穂を見つける。その三本をもらい受けたのは亀治26歳の時だった。
 そして翌年からこれを原種として淘汰整理に腐心し、4年かけて病気にも虫にも強い固定種を生み出したのである。これが「亀ノ尾」である。亀ノ尾は、当時の乾田馬耕の導入と相俟って急速に普及したという。
 ところが昭和期に入り、農業試験場などでの研究が進み、多肥多収の優れた新品種の登場により、王座のを奪われることになる。そして飯米品種として姿を消すことになる。
 近年、この「亀ノ尾」を酒米として登場させたのが、同町の鯉川酒造である。 
 鯉川酒造では、阿部亀治のひこ孫にあたる阿部喜一が保有していたわずかばかりの種籾を譲り受け、試験栽培にこぎつけることに成功する。しかし、その後、亀の尾単独で醪一本分の酒を仕込めるようになるまでには四年かかったという。
 亀の尾は、偶然にも粒が大きめであり、米粒の半分以上を精米して削る吟醸酒や大吟醸酒を造るのに適していたということも幸いしたとのことである。
 こうして、この芯の強い、日本酒としてのハードパンチャー「亀ノ尾」をこよなく愛するわたしの総合学習は終わるが、他県に行ったら自慢話にでもしてみたいね。
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