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どらいぶ スル! [日記]

 22日午前3時半に山形を発つ。13号線を北上して大曲から105号線に入り、秋田縦貫鉄道と並走しながら、マタギの阿仁を通って鷹ノ巣に出て、大館で7号線に乗る。ここまで5時間ちょっと。平均速度は60キロ程度。早朝、しかも信号なしの山間道。高速は院内~横手と鷹ノ巣~大館間の無料区間のみ利用。
 結婚当時、妻の実家は二ツ井町にあった。新庄からそこまで7時間以上かかったと記憶する。13号線と7号線を使って能代経由で通った。真っ正直に国道をひたすら走っていたのだろう。
 今や、ドライブ好きが功を奏して、東北圏内ならいろんな道を知るようになり、ドライブの楽しみは倍加した。
 今回は、青森に一泊して、五所川原を通って秋田犬の「わさお君」に顔を出し、深浦で好物のサザエとアオミズのお浸しを食べて、秋田で墓参りをしてから象潟に一泊した。
 酒が勇気を運び、次の日、まだ見ぬ里、西馬音内に向かった。それも通常ならば、本荘経由で行けば問題がないものを、象潟~矢島間の山道を試してみた。ここは鳥海、自殺の名所、やっと車一台が通れるような暗いやぶの道、所々に「独りで入るな」とか「ケータイ持て!」の立て看板、途中には山小屋まであって、もはやドライブコースではなくなる。車を降りて休むにも熊がいつ出てきてもおかしくないほど山深い。妻は手に汗を握りながら、10数キロを時速10キロ程度で進んだ。
 ナビが表示する道路が赤から青に変わり、やがて矢島に出る。二度とこの道は通るまいと思う。
 「どらいぶ スル」ことの醍醐味は、どうやら、この人生の選択に似たスリルにあるのかもしれない。
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終戦に因んで [日記]

 今年はいつもの年と比べて、終戦にまつわる番組が少なかったような気がする。それでも、心打つ番組が多かった。その中で「インパール作戦」「東京・戦後0年」そして、ドキュメンタリードラマの「華族・最後の戦い」が印象深い。
 特に「華族・・・」では、昭和20年敗戦後の日本に訪れた皇室の危機に際し、天皇の藩屏たる華族がいかにして皇室を守り抜いたか、内大臣木戸孝一の日記などの資料を元にドラマ化された。
 視聴してその趣旨は十分に汲み取れたのだが、新たな感慨が浮かんだ。
 一つは、維新以後の日本が、維新の英傑の血筋によって推し進められたという事実である。木戸孝一は孝允の孫であるように、近衛文麿以下の登場人物はすべて維新の世に結びついていた。だとすれば、この70年のまさに「国体」は彼らによって形作られ、最後は誤った道を突き進んだのではないかということである。
 もう一つは、華族を中心にして、戦争責任を軍部、とりわけ東条英機に負わせていったという事実である。確かに、日中戦争を続け、太平洋戦争に突入せざるを得ない状況を作り、そこに突き進んでいった責任は陸軍にあるのだろう。そして、東条には立場的責任がある。しかし、戦争に向かう横溢するような機運を生んだのは誰なのかということである。大東亜共栄圏を夢見た経済界の思惑が軍部を動かし、政治を無力化したとも考えられる。この見えざる力が、世論を変えていく事実を見逃してはならないような気がする。見えざる力が何であるのか、戦後70年を過ぎてもわからない。
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新北同期会へ [日記]

 昨日、新庄北高18回生の同期会がありました。
 冷えた電車も高校生で混むに従い熱気で一杯になり、いつしか48年前に気分はタイムスリップしていた。空は青空、車窓の緑は見事なコントラストを成し、なぜか気分が高鳴った。ついぞ知らなかった駅が3つほどあったろうか、電車に乗ったこともなかったのだから知らぬが当たり前だった。
 メールの案内で集まったのは48人、既に38人が他界していた。それぞれが名札を付けている。しかし、名前にかすかな記憶は残るものの、顔がわからない。あまりの変わりように名前と顔がつながるまでに多くの時間を費やし、閉会を迎えていた。
 3時間ほどの間に20人程度の人とお話させていただいた。みんなが丸くなり、角もなく、鷹揚なじいさん、ばあさんになりかけていた。それでも、歌声が響くにつれ、気分は盛り上がり、声は心の叫びとなっていた。
 いいものだ。同級生とはいいものだ。できる限り、これからも励まし続けられたらいいと思った。
 帰りの電車、ひとりひとりの顔を浮かべながら、一人ワイングラスを傾けてきた。高鳴り続けた胸が静かになるのを感じていた。・・・・。
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