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難民 [日記]

 ベルリンのクリスマスマーケットに大型トラックが突っ込み、多くの犠牲者が出た。日本では、幼稚園児が飲む湯冷ましに塩素が混入された。
 シリア情勢が混迷する中、これまで欧州には多くの難民が逃れてきた。難民が増えるにつれ社会構造に変化が起きてきたのだろう。以来、難民を拒否する国々が東欧を中心に増え、唯一寛容なドイツまでの道は塞がれようとしている。今、シリア難民はギリシアに足止めされている。
 難民排斥の動きは、トランプ現象と相俟って、自己中心・非寛容な意識に傾きつつ、偏ったナショナリズムへの道を歩み始めている。その一方で、新たな国で難民たちは、社会の下層部で生活している。祖国民たちが携わらないような過酷な労働と見合わない賃金に我慢を強いられ、生きていると聞く。むしろ犠牲的に尽くしていると言える。
 こうした中で、社会への不満が「テロ」へと変質しているとすれば怖いことである。逃れた新天地が自分たちにとって天国どころか地獄と思われたとき、我慢しがたい抑えがたい不満は生まれる。その不満を悟った祖国民たちは、それらを肌で感じ、知らぬうちに彼らを排他しようとする。こんなことが起きているのではないか。
 相模原で起きた殺人から塩素混入事件まで、そこには、社会の下層部、歪みの部分、非正規の部分に鬱積した不満みたいなものが感じられる。テロとは言わないのかもしれないが、多かれ少なかれ二極化された社会の中で生まれる不満のやり場に事件が起き、犠牲者が出ているように思う。
 「難民」は、決してヨーロッパだけの話ではないのかもしれない。社会的難民というものがあるとすれば、二極化が進む社会は、常にそれを生み出しているのではないだろうか。考えられないような所で、想像できないような事件が起きる度に、起こした個人の罪の裏に、社会が生みだした罪を感じるようになった。

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東北連小山形大会に [教育]

 全連小山形大会から早いもので6年が経ち、来年度には東北大会が回ってきます。
 全国テーマが示す「新たな知」とはなんだろうか。このテーマは、7年前に調研部長をなされていた番町小校長の有馬先生が中心になってまとめられました。確かに、知識基盤社会やグローバル化の進展に伴う学びについて議論されたと記憶しています。
 すべてが急激に変化する社会、「新たな知」に変化はないのだろうか。日本人として何を為さねばならないのだろうか。番町小を訪れ、有馬さんと話し合ったことを思い出します。有馬さんは「足場」と言い、わたしは「立ち位置」と言いました。足場は「確固たるもの」の意味、立ち位置はまさに「いのちの軸」を想定していました。
 番町小からの帰りの電車で、「立ち位置確かに、足場を強く」の言葉が生まれました。それはそのまま全連小山形大会の合言葉になりました。
 来年は東北大会です。さびしいほどの少子化、大震災の傷癒されぬ今、脆弱になった社会基盤、・・・・こうした中で、「ふるさと」「地域」「絆」などをどうとらえて、どう教えていくのか、まさに教育の背柱に向けての問いです。しっかりと「いのちの軸」に位置付けて、校長先生たちが語り合い、いのち輝く教育にしてもらいたいと祈っています。

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ネブラスカ [家族]

 一昨日の晩、米映画『ネブラスカ』(NHKBS/モノクロ)に夢中になりました。
 モンタナ州に暮らす大酒飲みで頑固な老人ウディのもとに、「100万ドルを贈呈」というウサン臭い手紙が届きます。すっかり信じ込んでしまったウディは、周囲の声に耳を貸さず、歩いてでも賞金をもらいにいくと言って聞きません。彼の夢は「トラックを買って、昔、友人に奪われたコンプレッサーを取り戻す」という些細なものでした。・・・・
 「父さん、よく読んで。こういうのは最近の詐欺によくある手だ。」と次男のデヴィッドは父を優しく扱おうとします。それに対し「まったくアンタって人は、呆れるよ!」と、毒舌家の妻ケイトや兄などは激しくののしります。
 しかし、そんな父に対し、デヴィッドは哀れみの感情とともに「じゃあ、俺がネブラスカまで連れてってやる」と言い、自ら運転する車での旅行を提案します。彼は恋人に逃げられ、何かと人生の負け犬的存在、その分心は優しく、「せめて現地に行ってくじが外れたのを確認させてあげよう」と思うのでした。
 道中でウディは「わしゃ、宝くじで100万ドル、当てた!」と、親戚や、親交の途絶えていた昔の友人たちに言いふらします。そして、彼らは「その金を手に入れよう」と卑しい気持ちのみでウディに近づこうとします。
 そしてリンカーンで「外れ」が宣告されます。崩れ落ちるウディ。デヴィットは愛車のスバルをトラックに買い替え、新品のコンプレッサーを買い、車に積みます。そして、父の故郷を通過するとき、運転免許もない父に運転を譲ります。・・・・ウディは意気揚々と昔馴染みに声をかけながら、ハンドルを握るのでした。
 アルツハイマーの症状は、時に頑固に、時に従順に身内に圧し掛かってくる。その起伏が手に取るように甦ってくる。不可能を可能にできないまでも、その不可能に他者が関与する、そんな度量がこの頃の家族に欠乏してきたことではないだろうか。

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教育とは「拾う」ことではないか [教育]

 「拾う」ということは、「捨てない」ことである。落ちているものを取り上げて手にしてやることである。
 校長は、先生方の「拾い」の事実を見届けているだろうか。頑張って難関校に受験しようとしている子ども、みんなが簡単というものだから「わからない」と言えなくなっている子ども、部活で弱点を補おうと助言が求められる子ども、通学途上性的嫌がらせを受けながら言えないでいる子ども、・・・・子どもが好きな先生方は、この「拾うこと」を懸命にやっているのだ。この具体を捉えることこそ校長の役割ではないのではないだろうか。
 年3回の面接が大変だと言う方がいる。大切だと思うならやりなさい。無意味と思ったら工夫すればよい。わたしは、必要な先生とだけしかやれないこともあった。必要のない先生とは「拾う」ことをマメにしている先生であり、わたしが全面的に信頼する先生である。それでも評価はみんな「3」である。
 そこで差をつけてどうする。校長のために能力の差はあれ、個々が自分の力を振り絞って子どもたちを「拾って」あげているならば、みんな「3」なのである。その校長も「3」なのである。当たり前のことを当たり前にしている人たちがもらうのが「3」なのである。チームとしてまとまっている意味での「3」なのである。教育には「3」が似合うのである。
 学力を上げることも、不登校を失くすことも、いじめを減らすことも、・・・・教育は、全部まとめて「拾う」というただ一念の地味な活動なのである。

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学力向上策サム・オブ・ゼン [教育]

 山形県で初めての中高一貫校として、「東桜学館」がスタートした。6年間を見通した受験指導ができることから、進学での実績が期待される。
 隣の宮城県では、平成22年度にスタートした二華高校がある。第二女子高を前身としながら男女共学にして生まれ変わった。今、東大への現役合格8名を出し、東北のトップに躍り出た。同様の動きは岩手県にもある。一関第一高校が中高一貫となり、東大現役合格を4名出した。
 すぐに結果を求めようとする雰囲気にはなるだろうが、焦る必要はない。結果は6年後に出せばよい。
 翻って大学、国公立への入学が厳しい。本県からの東北大への入学者は激減し、全県でも往時のY高の実績を下回るらしい。東北大自体が、関東・関西勢に東北勢は押されている。これは、東北の地域的課題である。
 さて山形大は?こちらは宮城県勢に押されている。人文・理学部に限れば、宮城県がトップとなっている。これは、本県の課題である。
 県内進学校に探究科と探究コースが新設された。効果が期待されるが、些かそんなお金のかけ方で事態が変わるとは思えない。根幹から変えるとすれば、実績を上げていた時代の指導への呪縛から離れ、今の入試への対応を急ぐことだ。センター試験の進歩に対する受験指導の対応の遅れを自覚することだ。
 そして、本気で取り組まなければならないのが「アクティブ・ラーニング」への対応である。特に、中高での真剣な取り組みが求められる。
 もう一つある。都会に負けない勉強は現実的環境的に難しい。されば、全人教育を強化することだ。例えば、都会の進学生に勉強量ではかなわないのだから、他のことで頑張ればよい。部活もいいだろう。ボランティアもよい。しかし、これら個人レベルでは後伸びに期待はできても都会には太刀打ちできない。例えば、公共交通機関内でのスマホを禁止して読書を奨励するとか、団体戦で挑んでみるのがよい筋だと思っている。いろんなアイデアを募ればよい。活性化事業第2段というのもある。

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法事を終えて [家族]

 母の三十三回忌と父の一周忌が終わった。
 母が亡くなったのは、わたしが32歳の時である。長男が小学2年生で次男は年中組だった。山大病院に入院していたこともあり、看護を全面的に背負ったのは妻だった。附属に赴任した年の夏に肝がんが見つかり、12月に手術してあくる年の1月14日にこの世を去ってしまった。あっという間のようだが、わたしたち家族にとってはつらい毎日だった。一番不甲斐なかったのはわたしだったかもしれない。慣れぬ環境に捗らない研究で、帰宅が毎日のように遅かった。妻は母に付いているから、しわ寄せは子どもたちに行ってしまった。近くの食堂からの出前だったり、幼い兄弟は松見町のヤマザワに夕食を求めたりした。今振り返ると可哀そうで身震いするような感慨に襲われる。
 こんな時期を過ごしたからだろうが、こうも違う性格の二人は、それを乗り越えて仲が良い。いや、共に歩むという術を学んでしまったかのようにお互いが認め合っているように見える。
 そんな毎日を助けてくれたのが、妻の母だった。その義母が今夏亡くなった。秋田からよく来てくれてはわたしたちを助けてくれた。義母なくしてわたしたちの生活は成り立たなかった。今はただ感謝するだけである。そして伝えていきたいと思う。
 思えば、母は、32歳以後のわたしのことも家族のことも知らない。でも、ずうっと見守ってくれていたような気がする。逆に91歳まで生きた父は、わたしたち兄弟の退職、ひ孫たちの誕生もあったのだが、それが意に止まっているようには思えなかった。
 老いというのは、だんだん自己に意識が集中してきて、もはや周りのことは風景のようにしか見えていなかったのかもしれない。
人は生きた長さに関係なく、人を思うベクトル量は同じなのかもしれない。

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