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時の過ぎゆくままに [日記]

 晩酌をやってから外に出てみると、まだ明るいことが多く、女房とわが家を眺めることがある。築28年になる。
 この家で息子たちは育ち、巣立っていった。柱の傷は猫の引っかき傷。壁には息子があけた穴。記念すべき穴は補修されることなく、パッチワークで隠されている。・・・・・多分、女房はこんなことを考えているのだろう。
 一方俺は。梅雨に入って勢いを増す雑草が気になるし、伸び放題の樹木の枝も気になる。そしていつのまにか草をむしり始めている。いろいろ考えるのだが、こんなことが頭に浮かぶ。今は、コントロールできているかに見える雑草も、それができなくなった時、本格的な老いがやってくるのだろうと。今春亡くなった父の晩年、専ら意欲を燃やしていた庭いじりが次第に遠のき、雑草が膝ほどにも伸びたものであった。・・・。
 いつもの黄昏どきである。このどうしようもない「まどろみ」と「うつろい」と「非情な現実」とが交錯しながらも、夕日に向かい一日の終わりに感謝する。今日まで生きてきて、だんだんと自分を客観視している自分にある種の成長を感じ、家の中に入ることにする。
 そして明かりを灯し、テレビで時間を紛らすのだ。こんな時間は5年前まで無かったことに気づく。

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選挙戦始まるね [日記]

 選挙戦が始まる。18歳選挙権や初めての合区など話題も多い。しかし、どう見ても冷めたスープのようなもので消化に悪い。聞き飽きた言葉が、具体的進展もなければ、新たに拡張されることもなく、去年聞いたような議論がまた繰り返されている。政治家は、言葉を口にするたび、その言葉を薄っぺらにしている。それは世の中をつまらなくするという意味において罪なことである。
 お天道様が起こっているのだろうか、自然災害も多い。熊本はせつなくなるほど悲しい。その一方で人間にも不満分子が増えているのかもしれない。人間の仕業とは思えない単純な情動が人を殺人鬼に仕上げてしまったような事件が続く。犠牲者は沖縄でもどこでも弱者である。世に横溢する不満を収める言葉をもつ政治家が出てこない。失敗しないように、間違わないように、上に気を遣う人間が増えている。そういう人間は、何もしないから失敗はしない。本音を語らないから批判にさらされることもない。
 今思うならば、多様性が許容されたかつての大政党をなつかしく思うことがある。多様であってしかるべきことまで統制がかかるような政党はおかしい。それに追随する政治家もだらしがない。アベ君は国滅びるまで「〇〇〇ミクス」を言い続けるのだろうし、格差是正の分配を語るオカダ君にもそのための「策」が見えない。
 繰り返すが、とと姉ちゃんのような「家族」、それを包む人間たちのつながりと伝え合う力が今の世の中にはないのである。生活とは経済ばかりではなかろうが・・・・・。
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「とと姉ちゃん」に見る新たな知 [教育]

  『とと姉ちゃん』を見続けていると、ドラマを貫いているものが見えてくる。
 ここに出てくる人たちは、家族も含めて、人と人とがつながるために莫大な手間暇をかけている。そして自分の思いや考えを相手に伝えるために苦しみ悩んでいる。
 つながり・伝えることは難しいことだ。それでもそこで苦労した分、自分というものを高めていくことはそう難しくはない。みんなすくすくと成長しているではないか。そんな作成者の声が聞こえそうだ。

 今日、県連小校長会に出させてもらった。全連小が主題に「新たな知」を掲げ、分科会テーマには「知性」の文字が目を惹いた。静かに宣言文を傾聴してみた。そこに「新たな知」と思しきものを聞き取ることができなかった。厳しいかもしれないが、まだ「寄せ鍋原稿」であった。
 来年は、東北大会主管県である。「新たな知」とは何か。今日が本県としての答えを出す協議会になっただろうか。六教振の「つながり」から論理を構成していかなければならない。とすれば、古いようでまさに「とと姉ちゃん」はよいヒントを与えてくれているように思う。例をあげてみようか。
 親子であれ姉妹であれ、謝るときは膝を折り両手をついて詫びる。この「礼節」を学校教育で見直すべきである。また、小橋家には「家訓」がある。何を今さらと思うかもしれないが、今の社会も学校も家庭も、この背柱(バックボーン)を失ってしまった。学校は教育目標というかもしれない。でもそれは背柱ではない。背柱とは、歴史であり伝統であり、今ある子どもたちが体現しているものである。そして、大切にしているものであり、誇りにしているものである。
 わたしは、そこから「新たな知」について考えてみたい。
 
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