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見とる [教育]

 ある小学校の研究集録を見せてもらっています。
 地域の方がこの学校の変化を絶賛しています。登下校の姿が変わったと言っています。子どもにとって楽しいことのある学校なのでしょう。集録の中に頻繁に出てくるのが「見とる」という言葉です。先生方は、見とることの難しさを感じ、そのため何を為すべきか奮闘しています。
 そんな先生方の教育に取り組む姿勢が学校を変えたのだろうと思っています。的確な言葉を投げかける校長先生。教頭先生も校長の意図を深く理解しているようです。研究主任は楽しそうに最後のまとめを書いています。悩んでいるのでしょうが。
 いい学校とはこういう学校なのですね。
 的確に見とることは難しいかもしれません。だから、それに近づくために「想像力」を働かせます。そのためにはよおーく見ることになります。それに、見とりが一意的ではいけませんから、豊かに見とることが大切です。だから、子どもたちも先生方も関わり合い、つながるのです。
 見とりの後にくる「出」と「待ち」。この質を高めるのは間違いなく「見とる」ことにつながるのだと思います。
 おぼろげに略図的に見えていたものが、「あーかもしれない」と思った時、モデル的に見えてきて、それを他に伝えようとしたとき、記号的に見とることになる。・・・そんな本がありました。池上嘉彦氏の『記号論への招待』です。わたしを変えた一冊でした。

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加配定数が減った [教育]

 公立小中学校の先生の数はどうやって決まるのでしょうか。
 通称「標準法」には、子どもの数に基づく学級数に見合った教職員の定数、いわゆる「基礎定数」が規定されています。近年は少子化が進み、自然減も進んでいるのが現状です。
 文科省は、教員の多忙化解消、学力向上や問題行動への対応のため定数の改善を求めてきました。これが「教職員定数改善計画」です。昭和34年度~38年度にかけて実施されたのが第一次の計画で学級編制「50人」が実施されています。
 第3次(昭和44年度~48年度)では、教育困難校に対しての加配制度が創設され、今日まで引き継がれています。
 もとより、義務教育の教職員給与は、3分の1を国が、残りの3分の2を都道府県が負担することが「義務教育国庫負担法」に規定されています。ですから、加配も都道府県の申請に応じて配当されるもので、「加配手数」として定められています。
 その加配定数が、来年度初めてダウンします。この裏には、あらゆる教育の問題に対し「数が問題の解決にならず!」という財務省の意向が働いたものと思えます。財務省の意向は、民意と無関係ではありません。もはや数頼みの時代は終わりと見えます。
 今後は、教育基本法が示す「人格の完成」のための「数」と「質」の必要性を説くべきと考えます。人格は人間として人間らしく振る舞うことであり、それはずばり「六教振」の「つながり」の中で育まれるものと信じています。
近年の教育問題を見るに、これからは人と人が揉み合うような教育活動を大切にすべきでしょう。総合とか行事が大切なのはそこに理由があると思っています。

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遺品整理 [日記]

 父の七七日が終わって10日が過ぎた。まずは遺影を掲げた。妻は遺品の整理に取り掛かっていたが、気の重い仕事であったろう。女性ならば、「形見分け」というのもあるのだろうが、父の服はサイズばかりでなく、デザインが古い。疲れた布地は、悲しい気持ちを呼び戻すばかりであったかもしれない。母に先に逝かれて31年。わたしたちがいたにせよ、これといった物は何もないことが父の淋しさの一端を象徴しているような気がした。
 母譲りの人形が残り、母の嫁入りダンス押し入れに入れて、わたしの衣装入れにしている。父の死によって、思い出を辿るものの少なさに男の倹しさが漂う。男とは淋しいものなのかも知れない。
 「私は淋しいです。」と言い「・・・ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか」と語りかける漱石『心』の先生の言葉にやすらぎをおぼえるのです。

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秀吉の兵法 [日記]

 弱者や被害者は、強者や加害者より強い。
 はじめから相手が右手の拳を振り上げないとわかっているものだから、噛み付いたり引っ掻いたりして、相手は膿んだ傷口に手の施しようがなくなり、結局は一度も本気になることもなく戦場から去って行った。
 ベトナムが最強のアメリカを退けた背景にこうした見方がある。
 北朝鮮はどうなのだろうか。はじめから核弾頭のセットアップを語る国は、ベトナムのような弱者でもない。到底被害者であるなどとは思えない。むしろ、右手の拳をあげているように見えるから、同情などはしない。
 周辺国も右手をあげたら取り返しのつかない戦争になってしまう。だから、平手で突っつくようなことしかできないものだから、きわめて厄介である。
 この頃は、男は女には勝てない。勝てないようになっているのだと思っているのだが、あの国は男か女かわからないような国だから、手の付けようがない。しかも、問題はよくなるどころか、悪くなる一方にも見える。
 だから、戦ってはいけないのだと思う。学ぶべきは秀吉の高松城の水攻めです。城主清水宗治の最期を知っているでしょう?

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身辺整理 [日記]

 未だに我が家では、教育書なるものが多くのスペースを占めている。そろそろ整理と思って早4年。思い出もある。思い入れもある。始末してしまったら、自分が消されてしまうような気もする。
 でも決心したからには大切な本から手放していくことにした。第一に「生物学体系」30万円を超える大枚をはたいて買ったものだ。第二に「理科教育史」仮説実験授業の板倉氏がまとめた大作でこれも10万円は超えるものだ。第三に「岩波教育学講座」後藤又兵衛旅館でご一緒させてもらった佐伯胖先生のリュックには、この原稿がぎっしり詰まっていた。今でもその重さは忘れていない。一年後、発刊とともに購入した。これも高かった。
 明日、附属小学校に持っていく。後輩から使っていただけたらありがたい。
 少しずつ、教育の衣が脱ぎ捨てられ、生身の人間が露呈してきた。少なくても、教育で武装するわけもいかないだけに、これからは本当に「にんげん」を磨いていかなければならないと思っている。
 そう決心するために、古い衣はもう脱ぎ捨てることにした。
 振り返るに、高い本は買ったのだけれど、使い切れぬほど、日々多忙であった。多忙のお蔭でどうやら、アカデミックにならずに済んだようだ。

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位牌 [日記]

 家の仏壇には31年前に亡くなった母の位牌がある。父の逝去により、父と母はまもなく仏壇の中で31年ぶりに再会する。
 七七日を前に、父の位牌をどうするかを考えた。はじめは、母の位牌を塗り直して二人の戒名を書き直してもらおうと思ったのだが、上だけきれいになっても下の劣化があって、バランスに欠けることが予想された。しかも、5寸5分の母の位牌はやや大きすぎる為、出し入れの際に仏壇内部を損傷するおそれもあった。そこで、森谷さんに相談し、長さ5寸のものを新調することにした。
 聞けば、母の位牌はランク的に下から3番目で、上を見ればきりのないほどの高級品があるそうだ。どう見ても、家の家格にピッタリではないかと思っている。もちろん、同じ段階のものを継承することにした。流れというのは変えるものではないと思う。
 父は母に院号をつけたりはしなかった。だから、わたしは父にも院号をつけてはいない。もちろん、わたしも院号をもらえるほど篤や徳のある人間ではないと思っている。だから同じがいい。
 仏の世界にも、変に気張らないほどほどの快適空間というものがあるような気がする。わたしの家はそんな所を適所・適温とすべきではないかと思う。七七日に向けて、最後の務めが少しずつ進んでいく。

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