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「縦糸」と「横糸」~新たな視点 [教育]

 古代中国では、竹簡(ちつかん)に文字を記していた。巾1センチ弱、長さは十数センチから60センチ程度で、厚さは1ミリ程度であった。その竹簡に墨と筆で文字を記し、糸で綴じる。短い竹簡では上下二箇所、長いものでは上中下三箇所を綴じる。
 この竹簡を並べて紐で綴じた状態が「冊(さつ)」で、それを机上に載せると「典(てん)」となり、それを巻いて保存するから「巻(かん)」といった。巻き寿司をつくるときの簾みたいなものである。
 ところがこの紐がよく切れたらしい。当然、配列にも間違いが起きる。これを「錯簡(さつかん)」といい、何度も同じ紐が切れることを「葦編三絶(いへんさんぜつ)」と呼んだ。この「葦」は「緯」に同じで、「経(たていと)」に対する「葦(よこいと)」を意味する。
 筋の通った文章も、横糸が切れると意味が通らなくなる。ということである。どんなにすばらしい施策も人と人との信頼関係が崩れたら、それは実りのない話に終わってしまうということ。なのだろう。政治も教育も、近頃はこの横糸が弱くなっている。信頼関係が危ない。
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教育~語り始め [教育]

 教育は、個人が「よりよく生きる」ためのものであり、自ずと「社会の再生産」としての機能を併せ持っています。
 昭和40年代、学生の頃は、社会の再生産、つまり知や文化の伝達的側面が強調されていました。時代はマンパワーを要求し、社会の高度化の陰で、不登校、いじめ、自殺・・・など教育に負の面が拡がりました。
 昭和50年代の「ゆとりと充実」以来40年間、教育は揺れながら、その守備範囲を拡げていきます。社会の変化が生み出した課題は、怒涛の如く教育現場に押し寄せ、一億総評論家の声は教育に向けられました。
 昭和60年代はまだしも、平成に入り、無理難題が詰め込まれた学校は疲弊していきます。それでも地道な実践は、新しい教育の在り方を提示していました。その多くは教科外に多く、学校教育活動全体としての教育課程の在り方に対するアプローチでした。
 舌足らずな振り返りですが、こうした苦難の時代にこそ、次代に受け継ぐべき教訓をすでに多くの合意の中に形成してきたのではないかと思っています。それは、
 教育は、まず「伝統や文化」に立脚することです。「立ち位置確かに」するための教育です。
 次に「高い志と意欲」を持つことです。これは現在の立ち位置から未来の向かうべき方向を確かにする教育です。また、方法的には「持てる知に必要な情報をかみ合わせている」教育です。ここまではすべて「縦軸」です。
 そして「他者と協働しながら新たな価値」を見出していてく教育です。この「横軸」に教育の価値を精緻化したところに、現代教育の財産があるとさえ思っています。多様化する社会においては、「社会の再生」自体が複雑になり、むしろ個としての「よりよく生きる」面が大切にすることで、豊かな社会が形成されていくのだと思っています。

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うるさいじじい [日記]

 新年が明けました。昨年はどんな言葉も無力に思える程、世の中が思うようには進んでくれませんでした。数任せの暴走がもう少し続きそうですが、国民が施策のほころびに気付くのも時間の問題と思っています。
 この5年間で山形県の人口は数万人減りました。山形で育った若者たちが戻り、一瞬の賑わいを見せた街も明日からは徐々に元の姿に帰っていきます。威勢の良い言葉で彩れた謳い文句だけが空中を飛び交っていますが、そろそろ地方の多くの街は消滅に向かっているという現実に立ち向かわなければなりません。
 軽減税率に充てる予算があれば、山形と秋田の新幹線をフル規格にできるなどと思うのですが、どうもそれが暴論に見えるのは、誰も地方の再生など本気で考えていないからです。本当に地方に若者が残れるようなことを誰もしていないからです。
 なんだか心寒々とした年になりそうですが。年寄りが元気をなくして少ない若者に迷惑かけるのもよくありません。医者を友だちに、薬を頼りに好きなことをやりながら、若者たちのために子どもたちのためにうるさいじじいになってがんばって見っぺ。と思っています。

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