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暗黒の森の中に彷徨うのか! [日記]

 なんとも情けないような国になってしまったようだ。毎日の報道をみていると、政府とりわけ官邸を取り巻く人間たちには辟易する思いがする。
 かつて、許さないことが平気でまかり通ったことがあった。80年ほど前である。憲法にもない「統帥権」を盾に、軍部は勝てる見通しのない戦争へと導いた。日露と変わらぬ八十九式の単発銃で、敵の最新式の機関銃に向かっていった。「バラバラ撃つ」より「一発一発心を込めて」撃てば当たるという、呆れた精神論がまかり通るような国に成り下がったのだった。今は、いとも簡単に、黒を白にせんとたくらむ財務官僚のへ理屈が大手を振ってまかり通る。「公僕」などという言葉はもはや死語だ。彼らは、全体に奉仕する公務員としての自覚もないようだ。そもそも国民を小馬鹿にしているのだから。今まで気づかなかった国民が、ほんとうに愚かだったのかもしれない。
 A氏は米へと飛んだ。A夫人が同行する様を見て呆れたのはわたしだけか。いや、そうではないだろう。どんなに怒りがこみ上げても、国民は声にしなくなりつつある。これも恐ろしいことだ。何も言っても無駄だと思わせたら、独裁者の思う壺である。
 わたしたち世代は、勤勉で、手先が器用で我慢強く、世界から羨望のまなざしで見られている国と教えられてきた。誇りある「日本」が危ないことに気付かせられたのが小泉さんの時代、それから浮かび上がることなく、今、暗黒の森の中に彷徨いだしてしまったように思う。
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墓を要にしてつながる [家族]

 NHKのクローズアップ現代が「墓じまい」を取り上げていた。あまり見る気がせず、むしろいろいろ考えてしまった。
 「子どもに迷惑をかけたくない」「墓を守っていく人がいない」などの理由から「墓じまい」せざるを得ない人がいることはわかる。ただ、そこに新たなビジネスとして新たな弔いの形が出てきていると言う風にもっていかれると、何かが抜けている感じがしたのだ。
 母が亡くなり、父が亡くなり、弟と4人家族の生活は昭和45年までの僅かな時間で途切れていたことに気付く。兄弟ともに結婚し、2人ずつ子どもをもち、今、合わせて7人の孫がいる。みんな合わせて15人。
 この15人を結んでいるのが血統である。父と母からか細い線でつながっている。この線は、誰かが手繰ってやらないと、たちまち個々は飛散してしまうほど弱い。日常の生活には必要としない関係なのだから、無視もできるし、しばし忘れることもできなくはない。
 この危うい関係を結び付けているのが、父と母の入る墓である。お盆には都合のつく者たちが家に集まる。世間話と近況報告みたいなものが交わされる。父と母の思い出話など出ることは少なく、そのうち酔いだけが回ってくる。それでも、若い孫たちのめざましい成長を実感としてとらえ、なんだかよくわからないのだが、血統の安泰みたいなものを感じているところがある。
 こんな繰り返しが続く。そして、互いに「気に掛ける」ことだけは続く。妻はカレンダーに嫁や孫たちの誕生日、主な学校行事、試合の日などが記されている。夜になると、二人だけの会話は、視線をカレンダーに向けて、「今日は〇〇の入学式だね」とどちらからともなく語り、電話が鳴ることを期待しているのに、互いに口には出さない。
 実は、この「気に掛ける」というのが大切なのだ。孫にしてみれば、親との関係に縛られては少々息苦しかろう。そこに、じじばばの無条件の庇護みたいなものがあって、「拠り所」というものが広がる。拠り所は広ければ、期待も広がり、孫たちも意気地なしにはなれまい。
 墓は、命のバックボーンであり、自分の立ち位置をいつも確かにしてくれる拠り所なのだ。ここで、展開されるつながりは、つながっていることで自分がどんなに助けられているか、なかなか意識されないでいるだけなのだ。

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元々秘密主義の国だった [日記]

 「日本の進路を誤らせたのは、日比谷焼き討ち事件(1905.9.5)だと思う」と、司馬遼太郎が語ったことがある。
 「ロシアから金や領土をもっと取れ!」と叫ぶ群衆は、日露戦争の勝利に疑いをもっていなかった。砲弾も尽き、戦争が続けば自滅!を認識していた軍部はもちろん、勝利に疑いを抱いていたマスコミも、不正直なことに群衆の声にピントを合わせていった。
 日本は満州を取って、どんな儲けはあったのだろうか。確かにロシアの南下は防げたかもしれないが、売るべく産業もない国が、イギリス等大国の真似をしてみただけのことだった。
 黒竜江対岸のソ連領ブラゴベシチェンスクの領事館は、「ソ連軍近代化」の情報を送るが、参謀本部が握り潰した。更に、そうした弱虫には「恐ソ病」というレッテルを貼り、出世を止めた。こうして、誰も何も言わなくなった。内幕を知らない国民は、「日本は強い。日本は正しい。」と信じていた。
 政府には政府自身の秘密がある。ある一定の期間手の内は見せないにしても、イギリスもアメリカも25~30年で文書を公開する。そういう国は、やはり国を誤らないのだろう。
 日本には弱みを隠し続ける習性がある。隠すということは卑怯であり、臆病者のすることである。国民に手の内をさらさず、嘘をつきとおして、かつて多くの命が奪われた。
 国会中継も見飽き、企業経営者や公益財団法人の不遜な態度に嫌気がさしている。あんたらぁの意識は、昭和の初めのままじゃないか!

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生きること考えること [教育]

 生きることは考えることである。
 雑草が伸びるから、植木に水をやるのをできるだけ控えていた。ところが、植物に関する岩波新書には、水をやらないと植物は根を成長させると書いてあった。そこで、数センチほど伸びた雑草を根こそぎ掘り出してみると、確かに根は地上部分の数倍に達していた。
 つまり、水を控えていたら、我が庭の雑草は、その根にわずかな水分でも生きられる能力を身につけていた。これでは雨季に入ったら、空恐ろしいことになるのではと不安になっている。
 「水絶てば草枯れる」という、これまで「自明なもの、不動なもの、確実なもの」として疑うことのなかった自分の考えの前提や基盤が揺らぎ、再び考え始めている。
 小学校の学習指導要領で身に付けた程度の知識は、確かに「水絶ち」という知恵によって行動化された。つまり、知識が知恵となるために、わたしは、知識を自分のものとして使いこなした。
 ところが、その知識なり知恵は、大自然の摂理に対して太刀打ちできるものではなかった。だから、わたしは、次なる策として新たな知識を求め、逞しい植物の姿を知ることとなった。さて、どうするかを考え始めている。
 どうだろうか。生きるとは考えることのようだ。しかし、考えることは「動揺」によって始まる。価値観が転換するような、これまで生き甲斐と思っていたことが否定されるような、まぁ、そんな大それたことでなくてもいい、自分を取り巻く環境との関係が少しでも揺らぎ始めたら、子どもは本当に真剣に考えるのではないだろうか。
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光り輝くもの [教育]

 庭の草取りをしていたらMさんがやってきた。
 彼は、附属時代に受け持たせていただいた最後の教育実習生だ。この春から中学校の教頭になる。
 春の日差しがまばゆく、うれしさと時の流れの速さへのとまどいとが交錯する。
 彼は、思い出の一場面として「大造じいさんとガン」をとりあげた。子どもたちがのめり込んでいたと言うのだ。当方は記憶になく、なんだかこそばゆい気持ちだった。
 振り返ることができたのは彼が帰ってからだった。国語は苦手だっただけに、附属の国語科の先生方に学んだ。一年間の半分位は、いつも参観者がいて、手を抜くことなどできなかった。教官室から教室まで歩く数分間の間に、導入にアイデアを凝らし、ここは山場と腹に決めて教室に入っていた。発問すれば返ってくる反応に喜び、のめり込んでいったのはわたしだったのかもしれない。
 こんな真剣勝負の毎日を、附属で十年間もおくらせていただいた。その十年目にやってきたのがMさんだった。ごまかしのない真っ正直の円熟期というものがあるとすれば、この時だったのだろう。
 午後になり、テレビシネマで「おくりびと」が放映されていた。英語題は「デパーチャーズ」で出発を意味する。7年前、全連小山形大会を前にして、あの大震災があった。痺れるような毎日、考えるなどというものではなかった。腹から絞り出した声と、「わたしたち」に逃れることのない「わたし」の判断をみんなが待っていた。
 わたしは、この大会を復興の「デパーチャーズ」ととらえることにした。その颯爽とした晴れがましい気分は、あの「坂の上の雲」の秋山たちの心意気だった。そして、一朶の雲に向かって進んでいたのだ。立つのは、か細い一本橋のような足場だったのだが、この時ほど、自分の足で歩いている充実感に浸ったことなどなかった。
 本年度最後のブログだけは、思い出かもしれないが光り輝くものにしたかった。
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人間「佐川」は見えなかった [日記]

 一日中、証人喚問をぼやーっと聞いていた。今朝は、テレビや新聞のこの話に、吐き気がする。
 佐川氏は、官邸の関与だけは明確に否定し、「だれが・いつ・なぜ」の質問からはすべて逃げた。官邸や財務省などを守ったという論調もあるが、本質はそうではなかろう。彼は自分を守っていたのだ。
 文書の改ざんを詫びながらも、昨年2月の答弁については取り消さなかった。やり手の弁護士を抱え、闘う気を随所に見せていたではないか。
 あの時の認識に従った答弁は、後にそれが過ちだとされても、その時それが正しいと思って言ったことだから「偽証」にはならない。という思いが透けて見えた。その一時に全身全霊をかけてきた官僚の意地が見えたような気がする。そして、最大限譲歩したのだろうが、「勉強」という言葉と「答弁に追いまくられる異常な事態」を取り上げ、俺は精一杯やったのだとでも言いたげな姿勢を見せていた。
 彼は、自分を守るための発言をした。その発言が、1年前と変わらなかったことが結果的に官邸等を守ったと解するべきだろう。所詮、官僚は国民を見ていないことだけはわかった。白を黒にしてしまうほどのロジックをもっていることもわかった。信用ならないことも分かった。人間らしさが見られないことも分かった。わたしは、こんな官僚に吐き気がしたのだ。とうとう人間「佐川」見えず、わからずじまいだった。
 そんな官僚の生きざまを見たくて、一日中つきあってたわけではない。何をやっているんだ国会。国民は早く劇的な結末を見たくて、うずうずしているのだ。
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君待ち坂 [日記]

北方の群青色の景観の中を米代川が流れる。
上流の大館までもう少しの隣町に、素敵な所がある。
「君待ち坂」と言う。
もうじき桜色に染まる季節がやってくる。
お二人で行けたらいい。
人は、何かを「待ち」、その時を「待ちわびて」
生きている!と思うから。

 山形で70数余年暮らしてきたMさんが、奥さまと大館に行ってしまった。脳溢血で入院していた施設でインフルエンザを患い、隔離されている間に、これまで積み上げたリハビリの成果がご破算になってしまったのだ。ただ寝ているだけの患者に今の医療は冷たい。患者の理屈より経営を優先させた。
 息子が勤める病院のある大館で暮らす覚悟はそうして固まった。
 見送りながら、また山形に戻ってくるという希望を消してもらいたくないから、硬直したMさんの両肩をつかんで励ました。Mさんの顔にパッと元気な時の笑顔が戻った。
 それには何より奥さまが希望を失わないことだと思い、冒頭のメッセージをおくった。
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へ理屈は感覚で読むべし [日記]

 森友学園の国有地取引をめぐる決裁文書は書き換えられたのだろうか。
 感覚的には、限りなく黒に近いグレーなのかなぁ。財務大臣も理財局長も「捜査に影響」という理由から回答を避けている。一昨日は近畿財務局が、そして昨日は理財局次長が同じ「捜査に影響」という言葉で返答している。
 「捜査に影響」という統一された用語には、無暗に理屈で押し切ろうとする態度が見える。それは「財務省」という組織の「絆(きずな)」であろうし、反面「絆(ほだし)」つまり束縛された悲しすぎる官僚世界を感じることができる。共通認識とか一枚岩とかいうものには、そうした側面がつきまとうのである。
 それぞれが語る「捜査に影響」という言葉を感覚的にとらえてみよう。すると、財務大臣と理財局長、近畿財務局、ところ変われば「違う」という気がしてくる。その言葉で押し切ろうとしている人、その言葉で黙るしかない人、やがて、その言葉で尻拭いをさせられるだろう人、それぞれが同じ言葉を使っている不思議・・・。
 そんな組織なり社会を息苦しく感じている人、辟易している人が少なからずいるのでしょう。頑なな理屈で貫き通そうすること自体が無理な話で、国民を甘く見くびるような方々には、もう限界に来ているのかもしれませんね。

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チャイルド44 [日記]

 モスクワのレーニン廟を訪れた時、ガイドさんの口から出た言葉は、レーニンの話ではなく、スターリンへの痛烈な批判だったことを思い出している。
 1961年、第22回党大会でフルシチョフは再度スターリン批判を行い、そして、スターリンの遺体はレーニン廟から撤去されることが決定された。そして、スターリンの遺体は焼却処分にされ、レーニン廟に脇に埋葬されている。
 何気なしに古本屋で手にした文庫本『チャイルド44』は、2008年イギリスの新進気鋭の作家トム・ロブ・スミスのデビュー作品である。ソ連に実在した大量殺人犯をモデルに、世界を震撼させたとある。
 スターリン体制下の身の毛がよだつような展開、懐疑と疑念が渦巻き、晴らしようがない現実に人々が死を予感し、絶望する。この恐ろしき手先となったのがKGB、国家保安省である。主人公レオ・デミドフは、その捜査官である。
 おもしろいぞ!とだけ言っておいて、中味に立ち入るのは止めよう。同名の映画もお勧めしたい。おどろおどろしいスターリン体制下の人々の息遣いが伝わってくる。しかし、映画だけでは真相がつかめない。合わせてご覧になることをお勧めする。
 トム・ロブ・スミスは、まだ30代後半。今後が楽しみに思える。
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入試志願倍率に思う [教育]

 公立高等学校の志願倍率を見て驚いた。探究科が設置された3校の倍率の高さである。一方これまでの普通科は、軒並み定員倍率を大きく下回っている。
 然るべき想像だが、探究科から普通科に回る生徒が出てくるのだろう。入試での敗者意識から劣等感を抱いての高校生活がスタートしては可愛そうである。幸いとも言えないが、多くの生徒がこうした事態を迎える今年は、孤立感だけは免れそうである。それでも、心のケアや、さらに、生徒が帰属した学科に愛着を感じることができるまでの指導と支援を願いたい。
 さて、探究科は、「探究型学習の充実」を一つのねらいとしている。探究学習の充実は、この度の学習指導要領の改訂がねらいとするところでもあり、すべての高校でやらなければならないことでもある。
 数年後に大学入試制度改革によるテストが実施されると聞いている。一言でいうならば「どのように学んだ」かのプロセスが重視されるらしい。探究科やコースでは、これに対応して「高い進路目標」が達成できる学力を育てることをもう一つのねらいとしている。もちろん、これもすべての高校が向かうべきところである。「医学部や難関大学を突破する学力」と読み込みたいところだが、さすがにそこまでは・・・。
 低迷する学力問題に一矢を報いるべく、新たな改革にエールを送りたいのだが。
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