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 「真っ当」と「まっすぐ」 [日記]

 「真っ当」と「まっすぐ」、それに「な」を付けて形容詞にして「生き方」にくっつけてみます。さて、「真っ当な生き方」「まっすぐな生き方」どちらが好きですか。選ぶとすればどっちですか。
 「真っ当な生き方」。この頃よく使われているように思います。自分ではそうありたいと望んでいても、できないだろうなと割り引いて捉えているところがあるような気がします。
 「まっすぐな生き方」いいだろうなと思います。それでも近頃は「愚直」とか「融通効かず」とか「バカ正直」とか言われそうで、やや劣勢に立たされているようにも見えます。だからでしょうか。「そればかりでは?」とかがあって、それを貫くことはなかなか難しいようにも思えます。
 そこで考えるわけです。それじゃ「全うする」という言葉があるでしょう。その前に「自分の生き方」を付けてみます。すると、自分の生き方を全うできるのは、一本筋の通った「まっすぐな生き方」のように感じませんか。ああーそうか。「真っ当な生き方」というのは、多少なりとも周囲や社会を自分の内に組み入れて弾力的生きる姿に見えてくるわけです。「まっすぐ」には筋が通り、「真っ当」は「まとも」であればいいのです。幅があるのです。
 一応の結論ですが。今、社会は「真っ当な生き方」に向いているように思います。「まっすぐな生き方」を「全うする」ことは難しい時代だから。
 なんでこんなことを考えているかと言うと、年とともに人間が「まっすぐ」になってきたのか、新聞やテレビ、社会に向かっていつもブツブツ言うことが多くなったように思うからです。

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「知ったかぶり」と「知らぬふり」 [日記]

 人はどちらかの習性を持っているように思います。わたしは、さしずめ「知ったかぶり」。頭に何かが閃くと黙っておれない性質なのです。ですから、あとで後悔することが多いのです。その中味をふり返ってみると、「迷惑」に収束されるような気がします。わたしの知ったかぶりによってどれほどの迷惑を周囲に与えてしまったかということです。
 ひるがえって「知らぬふり」をする人っていますよね。記憶に残る代表格は、あのロッキード裁判での「記憶にございません!」でしょうか。周りには、些細なことであっても知らぬふりをする人がいるものです。その域に関与しないと心に決めたずるさが透けて見えます。でも一番知らぬふりをする人、この頃は政治家のような気がするのです。とても残念なことです。
 神経痛で病みながら、国会中継を聞いていました。K党の○氏は、多様な角度から安倍さんに「太平洋戦争における朝鮮の侵略に対する総理の認識」を質していました。ところが安倍さんは「談話」を読み上げたり、「有識者会議では・・・」と応えたりするものだから、委員会は何度も中断し、時間だけが過ぎていきました。とうとう自分の認識を話しませんでした。安倍さんは史上最強の「知ったかぶり」であり「知らぬふり」なのです。
 この不遜な姿勢態度に、頭痛は高まるばかりでした。

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いじめ再調査? 何でだよ! またか! [教育]

 文科省が「いじめ実態調査」のやり直しを発表しました。その理由の一つに発生率で86倍の違いが都道府県間にあったということのようです。
 何だか、好ましくない結果がでたから好ましい結果が出るように調査をし直すみたいに感じられる。こんなことを国はしばしばやって下さるのです。もう10年も前になるのですが、「テント内での男女同宿」が小学校においてもいけないということで、調査のやり直しが行われたことがありました。
 そこにどんなことが書いてあったと思いますか。「0」になるまで指導して報告することとあったのです。
 今回もどのくらいの率かはわかりませんが、ねらいとする数字が念頭にあるのでしょうね。だからですかね。「発生率が高い都道府県ほど、対策が講じられている」とコメントしているのです。
 何のための調査なのでしょうね。わたしは、最初の調査に対して、文科省は明確な指導方針を示すべきと思いますよ。それが実態なのですからそれに対応するのが指導というものでしょう。数字にとらわれ、数字で苦しめられてきた「不登校」以来の轍を踏み始めているような気がしますね。

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神経痛 [日記]

 わたしの持病に「神経痛」が加わった。平成27年8月24日は「神経痛記念日」である。これから死ぬまで付き合う間柄なのだから、多少の我慢はするけれど、身に余るような悪さは決してしないよう祈っている。
 神経痛は父の持病である。暑い夏でも頭にホッカイロを貼っていることがあり、それを止めるよう強い言葉で言ったものだが、それがやがて自分のモノとなると思えば、「人の成り」というものは中傷すべきでないものであることを知る。
 年が経つと共に、DNAとか遺伝子というものを自分の内に見出すことが多くなる。それは決して「よいこと」ではなく、「わるいこと」ばかりが露出してくる。でもそれは仕方のないことではないだろうか。それが親子であり血統というシガラミなのだから。
 ふり返れば、受け継いだ「よいこと」で若い自分は、いい思いをしてきたではないか。足が速いのは母譲り、酒が好きなのは祖父譲り、手先が器用なのは父譲り等々、そして、みんなに共通するのが裏表のない「お人好し」ときているから、もうどうしようもないことなのだ。
 積もるばかりの人生の負荷。それでも、楽しいことばかりでは生きた甲斐がないではないか。何かを背負っていない人間はそれこそ一人前ではない。また、悪い仲間が一つ増えたのということで記録しておくことにする。

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山形道櫛引パーキング [日記]

 保険業界で働く人たちを見てきた。実際から想像する限り、それは苛烈を極める。3年間で30人、40%が脱落している。その中にベテランのМSさんがいる。熱情家で親分肌で気風がいいと思ったら、シクシクと涙を見せる時もある。そんな彼女が櫛引パーキングの話をしていた。
 サービスエリアだから、自販機とトイレしかない。ところが、ここのトイレときたら飛び切りキレイらしい。そして、目の前にあるのが「カエルの折り紙」。それを手にしたとき、このトイレを清掃してくれているであろう人たちの心につながる。
 きれいなトイレとカエルの折り紙。何かを伝え、何かを気付かせるには、これだけで十分なのだろう。МSさんは、この人たちと触れ合うためにここに寄る。そして、何かに気づき、新たなヒントを得て、再びハンドルを握り、目的地へと向かう。ここは砂漠のオアシスなのだ。
 近いうちに、ここに寄ってみようと思う。
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