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小学校最後の運動会 [家族]

 川崎の孫の最後の運動会に行ってきた。
 3日間も泊まらせてもらって、愉しい時間を過ごさせてもらった。たまにしか会えない孫だから、変化や成長が見える。そして、育ってきているものを感じ取ることができるのだ。
 この先、どれだけ時間を共有できるのだろうかと考えてみれば、とても大事な時間のように思う。だからと言って、子育てにとやかく言うつもりはない。
 今回は、山形から持参したミニトマトの苗をプランターに植えてやった。去年から始めたことで、下の方は喜んでいる。ジジィが言うのはただ一言、「毎日水を!」である。
 これには、孫たちそれぞれが、一つでもいいから自分で大切と思うことを、やり遂げてもらいたいという願いを込めている。
 でも、一番変貌を遂げているのは、お父さんとお母さんなのかもしれない。大したものではないか。
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尊大な人は「自分ファースト」 [日記]

 黒を白にできると思っている方がいる。
 その誰もが尊大な権力を手中に「収めた」と思っている方々である。「預かっている」だけなのだから、もっと謙虚であれ。
 正直でありたいと勇気を奮った若者がいた。若者は尊大な権力によって取るべき行動を間違えた。それが過ちだと気づいたから、自分進むべき道、とるべき考え方を変えようとした。
 尊大な権力を守ろうとしか考えていないようなあの方は、「〇〇ファースト」の〇〇は、「自分」だったようだ。少なくても、教育に携わる端くれの気概があるならば、守るべきは「自分」ではなくて「若者」ではないのか。あなたは、さっさと教育の場から立ち去るべきだ。
 どんなに証拠が積まれても、理由にもならないことで否定する方がいる。彼は日本の道徳をこの一年でどれだけ廃らせたことか。こんな人間でも権力者ならば、組織から守られるものなのか。何だかわからない共同の利益のために、恥ずべき話を平気でしている者がいる。一票を投じた選挙民は、彼らが一番大事にしていることは何なのか、わかったのではないだろうか。
 正義と勇気が廃れ、個人が崩壊しかけている。同調するだけの金太郎飴ならば、政治家などというものはもっと少なくていい。個人を失くしてしまうような尊大な権力者を組織は極力作らないように注意を怠ってはならない。
 「他と共存して、共同の利益を求める」という崇高な考え方に、近頃は悪徳業者が蔓延っている。
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人のせいにしない [教育]

 Hさんと「働き方改革」について、わずかな時間だったが意見を交わした。
 人が「多忙」と感じるのは、そこに「他人にやらされている」仕事という思いがあるものだ。自分でしなければならない、しようと決めたことを遂行するに、そんな邪念が入り込む隙はなかった。だから、やり遂げた後には、ご褒美のようなきらめく朝と充実感を得られたものだ。自信や誇りなどというものは、そうした自己のぎりぎりの世界の中で醸成されていくものではないだろうか。
 だから、仕事に関して「人のせいにする」ことは、自ら仕事への意志を放棄していることに他ならない。先生方は、もっともっと「individual」でなければならない。個人として独立した人間として組織に加担すべきである。役割はあっても、何をどのようにいつ行うかは、個人にゆだねられる。率先して起案していけば、つらい面もあろうが気分はよいはず。教頭先生から言われてからでは、しかも締め切りが近づいてからでは、それは「多忙」を感じることになる。
 自ら、役割に積極的であることは、経営全体に対する自らの意見を持つことになる。実は、人のせいにしないことは、組織のコミュニケーションの活性化に結びつくはずである。
 アウシュビィッツに「ヒトラー」の写真はなかった。中谷氏は、これは、此処で行われたことが、「ヒトラーやナチスだけのせいでない」ことを意味していると語る。
 
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時差ぼけ [日記]

 この一週間近く、夫婦ともども時差ぼけに悩まされています。
 突然、地中の奥底に落とされたように眠くなります。
 やはり、年のせいでしょうか。こんなの初めてです。
 それでも頑張って少しずつ「ポーランド紀行」を書き始めています。
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暗黒の森の中に彷徨うのか! [日記]

 なんとも情けないような国になってしまったようだ。毎日の報道をみていると、政府とりわけ官邸を取り巻く人間たちには辟易する思いがする。
 かつて、許さないことが平気でまかり通ったことがあった。80年ほど前である。憲法にもない「統帥権」を盾に、軍部は勝てる見通しのない戦争へと導いた。日露と変わらぬ八十九式の単発銃で、敵の最新式の機関銃に向かっていった。「バラバラ撃つ」より「一発一発心を込めて」撃てば当たるという、呆れた精神論がまかり通るような国に成り下がったのだった。今は、いとも簡単に、黒を白にせんとたくらむ財務官僚のへ理屈が大手を振ってまかり通る。「公僕」などという言葉はもはや死語だ。彼らは、全体に奉仕する公務員としての自覚もないようだ。そもそも国民を小馬鹿にしているのだから。今まで気づかなかった国民が、ほんとうに愚かだったのかもしれない。
 A氏は米へと飛んだ。A夫人が同行する様を見て呆れたのはわたしだけか。いや、そうではないだろう。どんなに怒りがこみ上げても、国民は声にしなくなりつつある。これも恐ろしいことだ。何も言っても無駄だと思わせたら、独裁者の思う壺である。
 わたしたち世代は、勤勉で、手先が器用で我慢強く、世界から羨望のまなざしで見られている国と教えられてきた。誇りある「日本」が危ないことに気付かせられたのが小泉さんの時代、それから浮かび上がることなく、今、暗黒の森の中に彷徨いだしてしまったように思う。
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墓を要にしてつながる [家族]

 NHKのクローズアップ現代が「墓じまい」を取り上げていた。あまり見る気がせず、むしろいろいろ考えてしまった。
 「子どもに迷惑をかけたくない」「墓を守っていく人がいない」などの理由から「墓じまい」せざるを得ない人がいることはわかる。ただ、そこに新たなビジネスとして新たな弔いの形が出てきていると言う風にもっていかれると、何かが抜けている感じがしたのだ。
 母が亡くなり、父が亡くなり、弟と4人家族の生活は昭和45年までの僅かな時間で途切れていたことに気付く。兄弟ともに結婚し、2人ずつ子どもをもち、今、合わせて7人の孫がいる。みんな合わせて15人。
 この15人を結んでいるのが血統である。父と母からか細い線でつながっている。この線は、誰かが手繰ってやらないと、たちまち個々は飛散してしまうほど弱い。日常の生活には必要としない関係なのだから、無視もできるし、しばし忘れることもできなくはない。
 この危うい関係を結び付けているのが、父と母の入る墓である。お盆には都合のつく者たちが家に集まる。世間話と近況報告みたいなものが交わされる。父と母の思い出話など出ることは少なく、そのうち酔いだけが回ってくる。それでも、若い孫たちのめざましい成長を実感としてとらえ、なんだかよくわからないのだが、血統の安泰みたいなものを感じているところがある。
 こんな繰り返しが続く。そして、互いに「気に掛ける」ことだけは続く。妻はカレンダーに嫁や孫たちの誕生日、主な学校行事、試合の日などが記されている。夜になると、二人だけの会話は、視線をカレンダーに向けて、「今日は〇〇の入学式だね」とどちらからともなく語り、電話が鳴ることを期待しているのに、互いに口には出さない。
 実は、この「気に掛ける」というのが大切なのだ。孫にしてみれば、親との関係に縛られては少々息苦しかろう。そこに、じじばばの無条件の庇護みたいなものがあって、「拠り所」というものが広がる。拠り所は広ければ、期待も広がり、孫たちも意気地なしにはなれまい。
 墓は、命のバックボーンであり、自分の立ち位置をいつも確かにしてくれる拠り所なのだ。ここで、展開されるつながりは、つながっていることで自分がどんなに助けられているか、なかなか意識されないでいるだけなのだ。

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元々秘密主義の国だった [日記]

 「日本の進路を誤らせたのは、日比谷焼き討ち事件(1905.9.5)だと思う」と、司馬遼太郎が語ったことがある。
 「ロシアから金や領土をもっと取れ!」と叫ぶ群衆は、日露戦争の勝利に疑いをもっていなかった。砲弾も尽き、戦争が続けば自滅!を認識していた軍部はもちろん、勝利に疑いを抱いていたマスコミも、不正直なことに群衆の声にピントを合わせていった。
 日本は満州を取って、どんな儲けはあったのだろうか。確かにロシアの南下は防げたかもしれないが、売るべく産業もない国が、イギリス等大国の真似をしてみただけのことだった。
 黒竜江対岸のソ連領ブラゴベシチェンスクの領事館は、「ソ連軍近代化」の情報を送るが、参謀本部が握り潰した。更に、そうした弱虫には「恐ソ病」というレッテルを貼り、出世を止めた。こうして、誰も何も言わなくなった。内幕を知らない国民は、「日本は強い。日本は正しい。」と信じていた。
 政府には政府自身の秘密がある。ある一定の期間手の内は見せないにしても、イギリスもアメリカも25~30年で文書を公開する。そういう国は、やはり国を誤らないのだろう。
 日本には弱みを隠し続ける習性がある。隠すということは卑怯であり、臆病者のすることである。国民に手の内をさらさず、嘘をつきとおして、かつて多くの命が奪われた。
 国会中継も見飽き、企業経営者や公益財団法人の不遜な態度に嫌気がさしている。あんたらぁの意識は、昭和の初めのままじゃないか!

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生きること考えること [教育]

 生きることは考えることである。
 雑草が伸びるから、植木に水をやるのをできるだけ控えていた。ところが、植物に関する岩波新書には、水をやらないと植物は根を成長させると書いてあった。そこで、数センチほど伸びた雑草を根こそぎ掘り出してみると、確かに根は地上部分の数倍に達していた。
 つまり、水を控えていたら、我が庭の雑草は、その根にわずかな水分でも生きられる能力を身につけていた。これでは雨季に入ったら、空恐ろしいことになるのではと不安になっている。
 「水絶てば草枯れる」という、これまで「自明なもの、不動なもの、確実なもの」として疑うことのなかった自分の考えの前提や基盤が揺らぎ、再び考え始めている。
 小学校の学習指導要領で身に付けた程度の知識は、確かに「水絶ち」という知恵によって行動化された。つまり、知識が知恵となるために、わたしは、知識を自分のものとして使いこなした。
 ところが、その知識なり知恵は、大自然の摂理に対して太刀打ちできるものではなかった。だから、わたしは、次なる策として新たな知識を求め、逞しい植物の姿を知ることとなった。さて、どうするかを考え始めている。
 どうだろうか。生きるとは考えることのようだ。しかし、考えることは「動揺」によって始まる。価値観が転換するような、これまで生き甲斐と思っていたことが否定されるような、まぁ、そんな大それたことでなくてもいい、自分を取り巻く環境との関係が少しでも揺らぎ始めたら、子どもは本当に真剣に考えるのではないだろうか。
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光り輝くもの [教育]

 庭の草取りをしていたらMさんがやってきた。
 彼は、附属時代に受け持たせていただいた最後の教育実習生だ。この春から中学校の教頭になる。
 春の日差しがまばゆく、うれしさと時の流れの速さへのとまどいとが交錯する。
 彼は、思い出の一場面として「大造じいさんとガン」をとりあげた。子どもたちがのめり込んでいたと言うのだ。当方は記憶になく、なんだかこそばゆい気持ちだった。
 振り返ることができたのは彼が帰ってからだった。国語は苦手だっただけに、附属の国語科の先生方に学んだ。一年間の半分位は、いつも参観者がいて、手を抜くことなどできなかった。教官室から教室まで歩く数分間の間に、導入にアイデアを凝らし、ここは山場と腹に決めて教室に入っていた。発問すれば返ってくる反応に喜び、のめり込んでいったのはわたしだったのかもしれない。
 こんな真剣勝負の毎日を、附属で十年間もおくらせていただいた。その十年目にやってきたのがMさんだった。ごまかしのない真っ正直の円熟期というものがあるとすれば、この時だったのだろう。
 午後になり、テレビシネマで「おくりびと」が放映されていた。英語題は「デパーチャーズ」で出発を意味する。7年前、全連小山形大会を前にして、あの大震災があった。痺れるような毎日、考えるなどというものではなかった。腹から絞り出した声と、「わたしたち」に逃れることのない「わたし」の判断をみんなが待っていた。
 わたしは、この大会を復興の「デパーチャーズ」ととらえることにした。その颯爽とした晴れがましい気分は、あの「坂の上の雲」の秋山たちの心意気だった。そして、一朶の雲に向かって進んでいたのだ。立つのは、か細い一本橋のような足場だったのだが、この時ほど、自分の足で歩いている充実感に浸ったことなどなかった。
 本年度最後のブログだけは、思い出かもしれないが光り輝くものにしたかった。
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人間「佐川」は見えなかった [日記]

 一日中、証人喚問をぼやーっと聞いていた。今朝は、テレビや新聞のこの話に、吐き気がする。
 佐川氏は、官邸の関与だけは明確に否定し、「だれが・いつ・なぜ」の質問からはすべて逃げた。官邸や財務省などを守ったという論調もあるが、本質はそうではなかろう。彼は自分を守っていたのだ。
 文書の改ざんを詫びながらも、昨年2月の答弁については取り消さなかった。やり手の弁護士を抱え、闘う気を随所に見せていたではないか。
 あの時の認識に従った答弁は、後にそれが過ちだとされても、その時それが正しいと思って言ったことだから「偽証」にはならない。という思いが透けて見えた。その一時に全身全霊をかけてきた官僚の意地が見えたような気がする。そして、最大限譲歩したのだろうが、「勉強」という言葉と「答弁に追いまくられる異常な事態」を取り上げ、俺は精一杯やったのだとでも言いたげな姿勢を見せていた。
 彼は、自分を守るための発言をした。その発言が、1年前と変わらなかったことが結果的に官邸等を守ったと解するべきだろう。所詮、官僚は国民を見ていないことだけはわかった。白を黒にしてしまうほどのロジックをもっていることもわかった。信用ならないことも分かった。人間らしさが見られないことも分かった。わたしは、こんな官僚に吐き気がしたのだ。とうとう人間「佐川」見えず、わからずじまいだった。
 そんな官僚の生きざまを見たくて、一日中つきあってたわけではない。何をやっているんだ国会。国民は早く劇的な結末を見たくて、うずうずしているのだ。
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