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頭のよい子どもに育てよう [教育]

 感心するほど頭のよい子どもがいるものです。「筋が良い」とか「勘が良い」とか、「センスが良い」というのもあります。こういう子どもの特徴は、すばらしい「カエル」をもっているのです。「カンガエル」「キリカエル」「フリカエル」の三つの「カエル」です。
 元々こうした能力に秀でた子どもは、それを自ら伸ばしていく力を持っています。教育、とりわけ学力を向上させるには、ふつうの子どもたちからこの能力を引き出してやることが大切だと考えています。
 「考える」ことは、自己と対象との対話です。どういう自己であるかが問題です。「切り替える」ことは、自己と他者との擦り合わせによって新たな自己を形成することです。ここでも元の自己がどうであったかが問題になります。「振り返る」ことは、自己の変容過程を辿り、それを賞味することです。やはり問題は「自己」なのです。
 学ぶということは、自己と他者との出会いによる新たな自己を自覚することです。その自己とは、優れた学び手としてどうあるべきなのでしょうか。少なくても他者に対して柔軟であること、また寛容であり、時には批判的であることも必要でしょう。
 それは、多様な視点を自由に行き来することで、一つの視点にとらわれることなく、情報を正確に読みとる力、ものごとの論理の筋道を追う力、受け取った情報をもとに、自分の論理をきちんと組み立てられる力、こうした考える力を礎にして、「常識」にとらわれずに、自分の頭で考えていくことなのです。
 多面的に考える、複眼的に考えるというものでしょうか。幸い、そうした能力を引き出す教材がたくさんあります。図形で「補助線」を引いて考える。「ある数を足して、後で引く」ことで計算を簡便にする。分数の「通分」などもルールとして教え込まず、必要によって導き出せればそうです。
 先輩のM先生は、日本の家の屋根には、なぜ「ひさし」があるのか考えたそうです。実際、無駄に見えるものも、日よけになり、雨水を防ぐことがわかってきます。そして、やがて、それが日本の建築美であることに気付くこともできると言われています。
 頭のよい子どもを育てることは、ルーチン学習の地獄に子どもを追いやることではありません。
多面的・複眼的に考えることのできる楽しい授業です。
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排他性 [教育]

 「排除する」の言葉で敗北したのは小池さんでした。ある仲間同士がその連帯を守るために他者を排除しようとする動きは、いろんなところで起きているように見えます。
 メキシコとの国境に塀を作ろうとするトランプさん、欧州連合離脱の国民投票を行ったイギリス、・・・巷には一見様お断りの店があり、学校にはそれに起因するいじめがあります。
 民主主義の社会にそんなことがあってはおかしいと思っていたのですが、この頃は、それが民主主義なのかなと思うようになりました。民主社会の経済発展は、大衆層とは別世界の「エリート層」を生み出しました。教育の機会均等が家庭の経済力によって失われ、高等教育や手厚い高度な教育は富裕層のものとなっていることが指摘されてから20年近くになります。社会の二極化が強まるにつれ、それが益々ひどくなってきているような気がします。
 幼児教育や高等教育の「無償化」が噴いて湧くがごとく出てきたのも、社会の中にこの「排他性」を認めたからでしょうね。
 国会が始まりました。誰だったか「移民受け入れ」について質問していたのですが、これがあっさりと安倍さんは打ち消していました。少子高齢化による人口減少が問題になってから、どれだけ年月が経ったことでしょうか。女性が働きやすいようにと打ち出された幼児教育の諸政策、いろいろあって今は働き方改革でしょうか。その効果は見られず、2,010年に日本はとうとう人口減少国家となりました。
 どんなにもがいても、国民の大半が高齢者では、その国力など知れたものです。日本が「日本」であり続けるために、移民は論外とする排除の論理はどこまで続けていけるのでしょうか。
 近所の公園の近くの新築現場で中東人と思しき人が働いています。飲食店に行けば、中国や韓国人の女性が働いています。方やオリンピックの有力外国人には、日本人に帰化する門戸が開かれているようなニュースを聞くと、この「排他性」にもご都合主義が伺われなくもありません。
 もはや、いろいろな国の人たちが、日本を支えているのではないですか。学校でも、そうしたことを社会科見学などで実地に体験させてはどうでしょうか。それに学校行事での体験や道徳などを通して、わたしたちが内に秘めている「排他性」に目を向けさせるのです。いじめ等、効果があると思いますよ。
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「気づかい」について [教育]

 新聞にハイデガーのことが載っていました。そうしたら、30年前のことが思い出されてきたのです。
 場所は池袋の居酒屋、対座するは尊敬する板垣慧先生です。筑波大附属小の職員会議に誘っていただき、大きな円卓の会議室で行われる教官会議に目を見張ったものでした。そして夜、互いに酒が好きなものですから、授業論を酒の肴にして夜は更けていきました。
 その夜、何度も使われた言葉が「気づかい」(ハイデガー『存在と時間』)でした。気づかうのは、「自分のよき在り方」です。原著では、この行きつく先を「己の死に対する気づかい」とし、その死から「自分の人生をとらえ返す」ことによってのみ「良心に呼び声」に応えることができるとあります。とても難解ですが、後日、少しずつ授業に当てはめて考えてみたのです。
 「気づかい」とは、自分を大切にすること、つまり命を大切にすること、これを支えているのが「自尊感情」です。「己の死に対する覚悟」とは、板垣流では「対象にのめりこむこと」、同世代の有田和正流では「追求の鬼」ということになります。その立ち位置を示すにピッタリの言葉を板垣先生はよく使われておりました。「瀬戸際に立たせる」です。だから、自分はどうかを問い詰めるのです。多様な考えが揃ったら、自分の所属を明確にさせるのです。「良心の呼び声」は、「没頭」です。離陸を終えて成層圏に近づいたジェット機は、もはや空気の抵抗もなく、エンジンを吹かして動機づける必要はありません。これは、当時私たちが考えた山大附小の「ジェット機論」です。
 齢を重ねてくると、今したいことが後送りできないと思うようになります。いつだってできると思えるのは「若さ」です。もうそう言えるだけの勇気はありません。だから、できることはやっておきたいのです。これも「気づかい」なのでしょうね。
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引き際 [教育]

 50日程前、飛ぶ鳥を落とす勢いだった人が、自ら創りあげた組織の代表の座から、自ら降りました。これは「引退」ではありません。信頼して委ねられる次の人ができたようには見えないからです。彼女は、自ら築いた道を棄てたのです。敗者として、また一定の信託を得ながら、負託に応えないままの責任放棄という罪を背負いながら。
 つまり、「花道」を飾ることはできなかったのです。「排除します」と自制のない人間は、所詮、「花道」を歩くに相応しくありませんでした。「花道」とは自分では作れないものなのです。
 引き際とは難しいものですね。惜しまれて辞めるという美学に「花道」はあります。それが、ある地位に昇りつめてしまうと、自分が「一番」の存在だと勘違いされている方がいます。彼らは「代わる者がいない」と言いながら、本心では「やれるだけやろう」みたいな欲望に駆られているのです。そうした組織は硬直し、多様性は失われ、意欲と忠誠は形骸化します。
 「任期」は、そうした弊害を防ぐためにあるものです。
 60歳定年制という区切りの中で、わたしたち教員は引退します。そこには後継者が居て、去る者は感謝の中で「花道」を歩かせてもらいました。
 区切りが曖昧な世界で、「引き際」を考えたとき、首に鈴をつける人間がいないからこそ、そこに「自制」があるべきだと思います。切羽詰まった引退には、「花道」はありません。歩んできた道を「捨てる」だけなのです。
 
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教えたがり屋 [教育]

 時は幕末、貧乏御家人の別所彦四郎は、文武に秀でながら出世の道にしくじる。それでも懸命に生きる男の愚直な姿には感動を覚える。『憑神』(浅田次郎)である。その中で彦四郎は、孔子の「仁」について次のように話すところがある。
 “「イ」に「二」、すなわちたがいを慈しみ思いやる二人の心がけを、その文字は表している。おのれよりまず他者を気遣わねば、人の道は畜生道に堕つるのである。・・・・仁あるところに武士道の本義たる忠や恕も顕れる。”
 世の中には、これに欠ける人がいる。それでいて威張るから、面従腹背の関係が生まれる。校長先生と先生方や保護者との関係にも通じるように思った。
 職を離れて半年、硬軟あわせて十冊ほど読んだであろうか。テレビの「ビクトリア女王」に続く「クィーンメアリー2」に触発されてか『エリザベス』と『皇紀エリザベートの生涯』を読み、ちょっとは欧州の王朝に通じてきたような気がする。
 息抜きに読んだ百田尚樹の『モンスター』では、美人の見分け方を知った。鼻の頭と顎の先を線で結び、口が前に出ていたら「ブス」(日本人に多い)、一直線に並んだら「エスティティック・ライン」で、口が内側にあったら「ハリウッド・ライン」と言って、まちがいなく美人。個人的には、これをものさしに街を歩く楽しみが増えた。
 教師モノで有名な重松清『その日のまえに』には泣かされた。市に向かう中、日常というものがどんなに貴重なものであるかを知ることができる。
 もう一つ心がけているのが、読む時期を逸していた世界に挑んでいる。ヘッセの『知と愛』、カミュの『ペスト』、ラディゲの『肉体の悪魔』などである。翻訳物は読むに時間がかかる。その後に和ものを手にすると、それこそスラスラと読み進めることができる。一つ秘訣を知った。
 つまらないような毎日だが、豊かな日々である。何かをつかみかけると黙っておれない、わたしはつくづく「教えたがり屋」なのだと思う。
 
 
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附属校を強固にして守る [教育]

 附属校の行く末を案じながら、策を講じないまま、お上の御沙汰を待つというわけにはいきません。何ができるのか、知恵を出し合う時だと思っています。
 附属校には、大学と一体となって、教育実習校の役割があり、更に教員研修にも貢献する学校としての役割があり、これまでも実行されてきました。
 ところが、有識者会議の報告書を読んで感じることは、役割に大きな変化はないものの、トーンが上がっている上に、ニュアンスが違ってきているのではないかということです。
 一つは、「教員研修」です。意味するところは単発的な研修ではありませんね。「学び続ける教員」を支えるという意味合いが強まっています。つまり、県下の研修体系を担う程の貢献を求めているのてでしょうね。やはり、附属存続問題のキーワードは「貢献」のようです。
 貢献は頑張ればできるというものではありません。貢献できるだけの「力」が問われます。具体的には、附属校の教員自体のレベルアップの必要性と、それを可能にするサイクルをどう生み出していくかという問題に突き当たります。そして、教員研修に果たす役割については、県教委との話し合いが必要です。
 附属学校の教員の一定数が教職大学院で学ぶ、或いは大学の教授・准教授として学生を指導する流れを恒常化することを有識者会議は提示しています。実際、附属校に教職大学院修了者が赴任している流れが出てきています。入るならば出なければなりません。実務家教員を附属校が輩出していく流れができれば、まずは一つのサイクルが見えてきます。
 附属を必要と思って守るということは、附属を強固にしていく流れをつくることだと考えています。
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附属校は必要なのだが [教育]

 続編です。
 教員養成大学・学部には附属学校の設置が義務付けられており、国立大学附属学校の合計は、現在56大学の256校になっています。教員養成を目的とする教育学部が43都道府県44学部設置されているのに比べて数が多いことがわかります。
 これは、山形大学のように教員養成を目的とする学部を持たないまま附属学校を以前のまま設置している国立大学があることや小・中・高・特の附属を複数持っている大学があるからです。
 こうした附属について、有識者会議は、「在り方や役割の見直し」「大学との連携強化」「地域との連携推進」「成果の還元」といった4つの問題を取り上げています。
 つまり、教員養成大学・学部の改革は、附属学校も含めた強みや特色、社会的な役割等を明確化して進められようとしているわけです。
 山形大学は、この4つの問題については、ある程度のレベルで達成していると思うのですが、やはり気になるのが、山大が教育学部を持たないという弱みがあることです。それに、どれだけの県民が山大の教職課程を必要と思っているかが極めて重要なポイントになるのではないかと思っています。
 しかし、山大からの声が県民には入ってきません。先生方はどうお考えなのでしょうか。県教育委員会はどうなのでしょうか。深刻な状況は来なければよいのですが、それがやってきてからでは間に合いそうもありません。平成13年に持たれていた山大と県と山形市との話し合いが待たれます。
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教員養成はアカデミアの中で [教育]

 昨日に続くが、・・・
 平成16年、国立大学法人化によって、国の直轄を離れて運営が比較的自由になったものの、国からの運営費交付金が毎年約1%ずつ削減され、その不足分を、外部の研究費や寄付金など独自に賄う必要に迫られることになりました。
 とりわけ教員養成学部は、理工系などに比べて、多額の科学研究費や委託研究費を国や企業などから獲得することは難しく、単科の教育大学はもちろん、総合大学の中での教育学部も難しい局面に立たされているようです。大学全体が財源確保に悩んでいるのに、附属学校も含めて教員数が多くて人件費が掛かり、しかも「稼げない」教育学部は、他学部から白い目で見られ、肩身が狭い思いをしているのでしょう。山大の地域教育文化学部の立場は、この教員養成学部からも除外されていることから、おそらくもっと難しい立場にあることは想像するに難くありません。
 平成13年「在り方懇」は、教員合格率と教員になる学生が少ないことを問題にしました。文科省の指導もあったのでしょう。山大にも「ゼロ免」いわゆる教員を目指さないコースが生まれました。ところが教員採用率は低いままでしたから山大教育学部の存続は極めて難しく、平成16年に教育の香りを少しだけ残す地域教育文化学部に移行し、教員養成機能だけは保つというギリギリの決断をしました。いや、せざるを得なかったのだと思います。
 ところが今、教員養成を目的とする学部の範疇から除外されたまま、「稼げない」学部として、大学の「お荷物」として扱われ、ましてや有識者会議が対象とする学部ではないという決定的な事実によって、大変な事態が生まれようとしているのではないかというのがわたしの危惧です。
 この「やまがた」から、教員を養成する国立大学が消えてよいのでしょうか。これまで県下の研究実践を担ってきた附属校が消えてもよいのでしょうか。教員を養成することは、幼稚園の先生を育成するのとは違うのです。学部存続問題が話し合われた当時、知識人たちは小学校教員は「大教養人」であることを求めていました。
 当然、総合大学というアカデミアの中でこそ、教員養成は可能なのではないだろうか。

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教員養成の道への疑問 [教育]

 国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議の報告書(8/29)を先日読んだ。
 現在、国大には教員養成を目的とする教育学部が43都道府県に44学部ある。内訳は単科大学が11大学、総合大学に33学部となっている。平成13年、通称「在り方懇報告書」によって、平成16年度に大学が法人化されたのを機に山形大学は、ぎりぎりのせめぎあいの中で地域教育文化学部に移行し、教職課程を残しつつ、学部としては教員養成目的という看板を降ろしている。それでも平成21年度に教職大学院を設置するなど、本県教育を支える楽譜としての役割を果たしてきた。
 そして、平成28年度からの国立大学の第3期中期目標期間が始まり、各国立教員養成大学・学部の改革が進められている。ところが、当の教員養成目的という看板を下ろした山大にはこれに該当しないと考えるのが筋である。当時、山大と同じ道を歩んだのは、福島大学と富山大学であった。この3大学が改革の波から除外されているのではないか。ところが、県内にはそうした不安の声は聞かれない。だから余計心配される。
 今しがたSさんのメールで一昨日の朝日新聞に掲載された東北の大学の広告に目をやった。元々は、Yさんの記事が福祉大に載っているとのメールだった。ところが、新たな現実が右の東北学院大学の広告にあった。「英語の指導力に自信 小学校教員の養成も」の見出しが躍り、小学校教員養成課程が明確に謳われていた。
 宮教があって、更にここにも。最近全国的な動きの中で、私立大学での小学校教員養成が勢いを増している。国大から私大への移行なのだろうか。だとしても、なぜそれかを行うのか、どんなプロセスで決まったのか、わからない。教員養成に関する全体的な動きと、こうした会議報告書との方向が乖離しているようにしか思えないのだが。
 このように国民に分からないような形で進められることに納得がいかない。
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亀ノ尾のルーツを訪ねて [日記]

 余目第四公民館に併設する「庄内町亀ノ尾の里資料館」を訪ねた。
 民間育種家として「亀ノ尾」を生み出したのは阿部亀治(1868~1928)である。亀治は、12歳で農業に従事し、当時収穫の少なかった「湿田」から農業先進地における「乾田」の普及に努めた。明治26年山形県下は稲作の不良に見舞われる。そんな中、亀治は仲間と立谷沢村の熊谷神社にお参りに行くのだが。そこで、冷害にもかかわらず「惣兵衛早生」種(水口に植える冷立稲)の中に倒伏せずに、健全に結実している三本の稲穂を見つける。その三本をもらい受けたのは亀治26歳の時だった。
 そして翌年からこれを原種として淘汰整理に腐心し、4年かけて病気にも虫にも強い固定種を生み出したのである。これが「亀ノ尾」である。亀ノ尾は、当時の乾田馬耕の導入と相俟って急速に普及したという。
 ところが昭和期に入り、農業試験場などでの研究が進み、多肥多収の優れた新品種の登場により、王座のを奪われることになる。そして飯米品種として姿を消すことになる。
 近年、この「亀ノ尾」を酒米として登場させたのが、同町の鯉川酒造である。 
 鯉川酒造では、阿部亀治のひこ孫にあたる阿部喜一が保有していたわずかばかりの種籾を譲り受け、試験栽培にこぎつけることに成功する。しかし、その後、亀の尾単独で醪一本分の酒を仕込めるようになるまでには四年かかったという。
 亀の尾は、偶然にも粒が大きめであり、米粒の半分以上を精米して削る吟醸酒や大吟醸酒を造るのに適していたということも幸いしたとのことである。
 こうして、この芯の強い、日本酒としてのハードパンチャー「亀ノ尾」をこよなく愛するわたしの総合学習は終わるが、他県に行ったら自慢話にでもしてみたいね。
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